私が思う2020年の漢字は…-当たり前が当たり前でなくなった1年

どうも、英司です。
毎回言っている気がしますが、更新が滞っておりすみません(笑)
2020年もあと僅かとなりました。今年は世の中的にも本当に大変な一年だったと思います。少し早いですが、私的な今年の振り返りをしてみたいと思います。

私が思う、2020年の漢字

毎年、日本漢字能力検定協会がその年を象徴する漢字を発表しており、今年は「密」が選ばれました。

新型コロナウイルスの感染拡大防止の目的で「密」を避けるよう何度も呼びかけられ、確かに幾度となく目にした文字です。

私が個人的に考えた今年の世相を表す漢字は、まさに「迷」だったのではないかと思います。

混「迷」を極めた世相の1年だった

今年印象に残っているのは、なんと言っても新型コロナウイルスの流行ですが、個人的には米国大統領選挙と、それに対する一部の日本人の反応も興味深く見ていました。

SNS全盛の時代、災害が起きたり、大きなニュースがあったりすると内容の真偽よりもセンセーショナルな情報や感情を刺激するような情報、受け取る側の願望に沿った情報などが瞬く間に拡散される現象はもうお馴染みです。

新型コロナウイルスに関しても米国大統領選挙に関しても、「迷」信や陰謀論の域を出ないような情報に、情報のリテラシー力に乏しい人だけでなく普段は知性的な主張をするような一部の言論人までも踊らされ、随分と「迷」走している姿を幾度となく目にし、心底ガッカリさせられる場面がたくさんありました。

それも、ネット上でちょっと有名なブロガーやインフルエンサーがノリで軽率に拡散してしまった、というようなレベルの話ではなく、私もお金を出して著書を購入したことがあるような知識人なんかが、ツイッターの投稿ボタンを押す前に2秒くらい考えれば現実的な話ではないことに気付きそうなほど突飛な情報の拡散に加担するようなシーンは、見ていてとても痛々しく、哀しささえ覚えてしまいました。

ただ、いくら著名な知識人でさえ「自分の願望に沿った情報」であれば簡単に信じてしまうということが露呈したとも考えられ、やはり自分の思ったとおりではなかった情報を現実のものとして受け止めるには相当な鍛錬が必要ということの現れでもあると思いました。

正義による「迷」惑行為もたくさん目にした

「自分は正義の側にいる」と信じて疑わない人が堪能できる仮想的な万能感や有能感は、いつの時代も麻薬のような快楽と依存性をもたらすのでしょう。

今回も大方の予想通り自粛警察が現れました(ただし、前回この「自粛警察」が話題に上がった東日本大震災の時よりはかなりマシだったと個人的には感じました)。

一部では感染者や医療従事者に対する嫌がらせや差別が横行していたという報道もなされていました。県外のナンバープレートの車両への嫌がらせや、ルールを遵守している事業者に対してまで「ルールは守っていても俺様の『お気持ち』が許さないから」という理由でいつまでも難癖を付けるような人もたくさん目にしました。

新型コロナウイルスに感染していることを自覚した上でキャバクラに遊びに行ってウイルスをばら撒いたという男性の例が報道されたケースがありましたが、実際にはそうした迷惑行為よりも、上記のような「自粛警察による迷惑行為(※)」の方が遥かに多かったのではないでしょうか。

※規則を違反する人に注意をするのは当然のことで、それは「自粛警察による迷惑行為」ではありません。ただ、多くの自粛警察は批判する基準が、公的なルールや統計などの科学的データに照らし合わせたものではなく、「俺様の『お気持ち』を害したから」ということを基準にしていたのではないでしょうか。

私のプライベートにおける2020年の漢字は…

と、ここまでなんだか暗い話ばかりになってしまいました。実際、お世辞にも「素晴らしい1年だった!」などと言えるような年ではなかったのは事実です。

ただし、今年起きた変化や、その変化によって気付かされたことは、決してネガティブなものばかりではありませんでした。

私にとって2020年を象徴する漢字は、「会」だったのではないかなと思います。

今年はコロナ禍が本格化して以降、いつでも好きな時に「会」って遊ぶことのできた友人たちと一切「会」うことができなくなってしまいました。特に緊急事態宣言が発令された4月~5月に関しては土日も本当にやることがなく、オンライン飲みに明け暮れていました(笑)

それだけに、一時的に感染が収まった夏前あたりに久方ぶりに会って友人たちと飲むことができた時は本当に楽しく、当たり前のことが当たり前にできることがこれだけありがたいことなんだと実感しました。

また、遊び方も大きく変化したように感じます。まずは、朝型になったこと。
年を取ったのもあるかもしれませんが(笑)、密を避ける遊びをしようと思うと自然と早起きしてキャンプやBBQなどのアウトドアをしに行ったり、露天風呂のある温泉などに行ったりする機会が増え、すっかり夜遊びの頻度は減りました。

遊び方、お金の使い方、時間の使い方が一変したように思いますが、一番変わったのはやはり、働き方だったと思います。

激変した仕事においても「会」な一年だった

本当にありがたいことに、失業や減給もないままに2020年を終えることができます(年末の賞与は昨年よりも減りましたが、そもそもゼロも覚悟していたのでむしろありがたい気持ちです)。

味わったことのない変化の中で、「会」社もかつてない速度で変わりました。
「会」うことが目的と化していた出張や会議は次々とオンラインに切り替わりました。

オンライン会議のシステム自体はずっと前からある技術ですが、年配者を中心になんとなく抵抗感があったと思います。ただ、そんなことも言っていられなくなり実際にフル活用してみると、思っていたほど声の時差やハウリングもなく、「実際に会わないことで発生するデメリット」よりも、「例えテレビ会議でも、離れた拠点同士が以前よりも頻繁に議論をする習慣ができることで発生するメリット」の方が大きいことに気付かされ、出張や会議のあり方そのものが抜本的に見直されました。

ハッキリ言って何の証明にもなっていなかったシャチハタによる認印はすぐさま廃止となり、何年も放置されていた社内の書類のデジタル化という課題が驚くべき速度で動き出しました。本当に、会社においてはここ1年で一気に10年分くらいの時間が進んだ感覚です。

結局のところ、様々な「問題点」が顕在化した1年だったのでは

とにかく激しい変化を経験した1年でした。
ただ、自分の願望に沿った情報以外は耳に入らない人も、自分は正義の側にいると信じてその快楽に依存する人も、不必要な印鑑を押印するだけの業務フローも、別に2019年より前から存在していました。

存在はしていたけれど、平和な状況下では目立たなかったり、変化を求められて来なかったりしただけなのでしょう。

2020年ほど、「変化」というものへの柔軟性の大切さを思い知らされた1年はありません。それどころか、特定のモノの見方に固執し、変化を拒むようであれば淘汰されてしまうという過酷な現実をまざまざと見せつけられた1年だったのではないでしょうか。

私自身、例えばある意見や主張を、中身よりも「誰が言ったか」によってその妥当性を無意識的に選別していた場面もあったのではないかと振り返ります。

これも一種の「固執」であって、行き着く先はやはり事実を見誤ることで適切ではない判断をしてしまい、後悔する結果を生むことになるのではないかと思いました。しかも、厄介なことに年を取って経験値も豊富になって行くほどに、「自分の先入観は正しいはずだ」と考え、柔軟性を失いかけていたと感じています。ですので、ここまで散々生意気なことを言いましたが、自戒も込めています。

まだまだストレスフルな状況は続きそうです。
2021年は、少しでも今年よりは幸福な年でありますように。

2020年も、本ブログをご覧いただきましてありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。