集団的自衛権行使容認についての私見

社会
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どうも、英司です。
皆様いかがお過ごしでしょうか。今日は久々に政治や世相に関するエントリを書こうと思います。

 

驕り高ぶった意思決定には明確に反対します

 

日本政府は、集団的自衛権の行使容認について、閣議決定を行う方針だそうです。

 

アベノミクスによる高支持率という背景があるため現在の与党や政府は非常に自信たっぷりなのかもしれませんが、僕はいくらなんでもこれはマズイと思います。

 

ただ、お題目のように憲法9条とか、集団的自衛権行使反対、ということを叫び続けている人たちを支持するわけでもありません。むしろ日本政府はこれまでにも、軍事面において諸外国と歩調を合わようにも合わせられず、時の政権は外交面で非常に難しい交渉を迫られていたことは容易に想像ができ、行使容認は致し方のない判断だったことに一定の理解もしているつもりです。

 

しかし、今回のことは、2012年の政権交代以降続く高支持率に驕り高ぶった意思決定のように思えてならず、今後、これにとどまらずエスカレートして時の内閣や与党には越権行為とも思えるような意思決定が次々になされるのではないか、という懸念を感じています。

 

現行の憲法解釈では、日本は集団的自衛権を保持しているが行使はできない、ということになっています。つまり「行使」は認められていないので、例え一部やいくつかの事例に限定されるものであっても行使容認ということは理論上現行の日本国憲法ではありえない。

 

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僕は、行使をどうしても容認しなくてはならない場合、国民投票と議会の採決を持って憲法を改正し、集団的自衛権の行使を容認できるように条文を変更すべきだと考えます。

 

そもそも当の安倍総理大臣が前に総理大臣をやっていたときに、憲法改正に必要な国民投票の方法を規定したいわゆる「憲法改正手続法案」を強行採決までやって成立させたわけじゃないですか。

 

その法律でしっかり規定された手続きを踏まずに憲法を改正するのと同様の効果を得られるような「閣議決定」というのは、それこそ到底容認されるものではないと思います。

 

本来憲法というのは、国家権力の暴走から国民を守るためにあるものなのに、「高支持率の内閣の決定は憲法よりも偉い」という気持ちがどこかにあるのではないか、と勘ぐっていまします。

 

大げさに聞こえるかもしれませんが、日本が近代化を遂げた明治時代から守ってきた「憲政」が脅かされるような事態に陥る危険性も否定できません。度重なる憲法解釈の変更、閣議決定による越権行為等で日本の憲法を取り巻く議論はこの70年近く複雑化するばかりです。

 

この国の憲法は一体誰のものか

 

もともと、55年体制と呼ばれる自民党政治の始まりは、当時の自由党と民主党が合併したことに始まったわけですが、当時の自由党と民主党の間では考えにかなりの開きがあったとか(今の自民党の中にも、タカ派から旧社会党右派くらいの人までいる幅の広さはこうした歴史的背景に由来しているようです)。

 

ただ、前年に社会主義勢力の政党が結集し日本社会党を結成したことに危機感を覚えた両党は、ひとまず資本主義経済を理念としていることで合併を決断。また、大型の保守政党同士がくっつくことにより将来的には議会で3分の2の議席を獲得して憲法改正を行うことを長期的目標として結成されたのが今の自由民主党だそうです。

 

しかしその後に繰り広げられたことと言えば、米国にべったりの自民党に、社会党がなんでも反対する、という政治が続きました。

 

憲法問題はその象徴的存在で、改憲と再軍備を求めてくる米国と意見を同じくする自民党と、改憲は再び戦争を引き起こすだけだと主張する社会党は度々激しくぶつかりあってきました。

 

しかしながら一度たりともこの国では、この国の形を規定する憲法を国民投票にかけたことがなく、右派、左派ともに「うちの国の憲法は米国に押し付けられたものだ」という見解だけは一致します。

 

結局もう70年近くもの間、国民にこの憲法の是非を問うことを先延ばしにし続けてきて、その間に左右どちらの不満も溜まり続け、解釈の変更を繰り返し続けた結果メチャクチャな状態になり、「何かあれば解釈の変更を閣議決定すればいいや」という感覚が生まれ、その極みが現安倍内閣の行使容認の閣議決定ではないのでしょうか。

 

僕はせっかく手続法ができたわけですから、一度国民投票をやってみればいいと思っています。両者とも、法律の規定どおり60日~90日間の告示期間に存分に主張をして、問うてみればいい。これだけメディアが発達した世の中なんですから、2~3ヶ月もこの議論がテレビやネット、新聞で流れ続けたら十分でしょう。

 

これで改憲派が過半数になれば、改憲すればいいし、過半数に達しなければ、ここで初めて「米国から押し付けられた憲法」が、「私達日本人が選択した憲法」になるわけで、どちらに転んだとしても、この70年間繰り返してきたような「誰も納得していない憲法」ではなくなることだけは確実。

 

「誰も納得していない、押し付けられた憲法」ということが、その時々の内閣が解釈の変更で対応してきた一応の合理的な理由だったわけですから、国民投票を経て決定された憲法には、もうこれまでみたいな都合都合に合わせた解釈変更はそうそう簡単に加えられなくなる。

 

ただ、右派も左派も激しくぶつかりあってきた割にはそれをあまり積極的にはやりたがらない。両者ともに、自分の望んでいない結果になった時のことが怖いのだと思います。

 

左派は国民投票そのものが改憲や戦争への入り口になる、とお題目のように叫び、右派は「機が熟していない」と言って、今回のような既成事実化を進めることにだけ躍起になってとにかく先延ばしにする。

 

ただ、もう今のやり方では限界が来ていると思います。今こそ自立した国家として日本人の手で作った(選択した)憲法が必要なのではないでしょうか。

 

さすがに今回の閣議決定に関しては方方から批判の声が上がっていますので、憲法のあり方についての議論に昇華されることを願います。

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