過ぎ去って行ったLGBTブームの光と影-そして誰もいなくなったが、それで良い-

セクシュアリティ
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どうも、英司です。
新型コロナウイルスの再拡大から始まった2022年ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

今回は、久々にLGBTネタを。数年前から始まったLGBTブームと、その後に続いた一連の現象、そして今、SDGsブームへ移行していった全体像を私なりに考察していきたいと思います。

ビジネスとしてのLGBT

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こちらのブログを以前からご覧の方はご存知かと思いますが、私はLGBT当事者、具体的には”G”の男性同性愛者です。

私がゲイのコミュニティに出てきたのはちょうど19歳の頃で、2004年くらいだったかと思います。その頃はLGBTという呼称もあまり一般的ではなく、オネェタレントなどは当時からいたものの、人権とかビジネスとか、そういった“真面目な”場面でセクシュアリティが語られることはほとんどありませんでした。

こうした流れが一気に変わったのが、2015年頃に各種ビジネス誌がLGBTを「市場」としてとらえ、海外の事例を紹介する形で「LGBTビジネスは儲かる」と論じだしたあたりです。

当時は「日本国内のLGBT市場は6兆円!」などと喧伝され、一種のブームとなりました。ただし当時から私は一当事者として、LGBT市場などというものは当時叫ばれているほど大きなものではなく、こうしたLGBTに限定したビジネスの多くは失敗に終わるだろうと踏んでいました。詳しくは、2016年に下記の「citrus」という媒体で私が書いた記事を参照してください。

リンク:ゲイが語る「LGBT市場」という幻想。ずっと前からレッドオーシャンだったゲイビジネス

そもそもですが、ビジネスというのは誰かが感じている不便を解決するためのものでなければ成功はありえず、凡庸な商品やサービスを「LGBT専用」とか「LGBT向け」と宣言しただけで売れるようなものではありません。

確かに、同性同士で借りられる家を優先的に教えてくれるような不動産会社や、血縁関係がない人のことも受取人として指定できる生命保険を紹介してくれるような事業であればそれなりのニーズがありましたが、このようにニーズが顕在化していて、それに対する解決方法を具体的に提示できたビジネスはごく一部で、ほとんどの企業がLGBTビジネスに参入したものの思うような成果が上げられず、LGBTに関することはビジネスからCSR(社会貢献)活動に移行していきました。

ポリティカルコレクトネスとしてのLGBT

ビジネスとしての行き詰まりが明らかになって来ると、今度は一部のLGBTアクティビストが被差別者として振る舞い、いわゆる「ポリティカルコレクトネス」(=政治的な正しさ)に訴えかけるようになりました。

こうした戦略はある程度うまく行き、人権問題や社会問題に敏感な人たちや、そういった論調のメディア、俗っぽく言うと「意識の高い人たち」の注目を浴びるようになっていきました。

ただし、こうしたブームにはビジネスとは違った弊害が生まれました。
というのも、ポリティカルコレクトネス的な論調を好む人やメディアなどには、どうしても「政治的な偏り」や「特定の党派性」が常につきまとうことになります。

次第に、セクシュアリティという私たちにとっては生まれ持ったもの、一生付き合っていかなければならない基本属性が気付けば非常に党派性を持ったものとなってしまっており、政権批判のために利用される類のものになっていました。

こうした傾向が加速している最中は、私も見ず知らずのヘテロセクシュアルの方からSNS等で「あなたはLGBT当事者であるにもかかわらず何故●●党を支持しないのですか?」なんて大真面目に聞かれるような場面もありました。

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こうした風潮は正直、当事者として大変居心地の悪いものでした。同性婚をできるようにすることもすごく大切なことだとは思います。ただ、私はゲイである以前に一人の日本人であり、社会で働く一人の社会人です

私としては経済政策や金融政策が一番大切で、そうした経済戦略は、安定した外交関係や、国家が戦争に巻き込まれないための安全保障戦略があって初めて達成されるものです。

LGBTの人権、特に私に関係するのは同性婚ですが、例え同性婚やLGBTの人権を主要な政策に掲げている政党があったとしても、その政党が掲げる経済政策や外交・安保政策が賛同できるものでなければ、その政党を支持することはありえません。

このように、LGBTであろうとも私には日本国民としてどんな考えを持つ自由も、どの政党に投票する自由も保証されているはずですが、セクシュアリティという死ぬまで逃げることのできない基本属性が、特定の党派性を帯びたものになっていた時期は非常に辛いものがありました。

LGBTからSDGsに移っていった「意識の高い人たち」

こうした、ポリティカルコレクトネスという文脈でLGBTに関わっていた「意識の高い人たち」も、ちょうどコロナ禍の直前、2019年あたりから関心がSDGsに移っていったように思います。

実際に、Googleの検索数の動向がグラフで見られるツール、Googleトレンドで「LGBT」と「SDGs」の過去4年間のトレンド比較をしてみました。

Googleトレンドにて、過去4年間のトレンド比較

2019年の後半あたりから、SDGsへの関心がLGBTを逆転し始めています。
私の肌感覚もだいたいこれと同じでした。これにトドメを指したのがコロナ禍でした。

SDGs自体はコロナ禍前から設定されていたもので、当然SDGsの中にもLGBTに関する記述もありますが、それは169あるターゲットのうちの数個でしかありません。

加えて、アメリカでは政権交代が起こり、バイデン大統領が誕生しました。バイデン大統領は気候変動やクリーンエネルギー、カーボンニュートラルに熱心なこともあり、SDGsの中で注目される目標も専ら温室効果ガス削減の話ばかりになって行きました。

さらに、アメリカや日本を含めて先進国はコロナ禍により大規模な金融緩和を実施しました。その結果、市中に供給されたお金は株式市場に流れ込み、株価や金融商品は見る見るうちに上昇したにも関わらず、その恩恵を受けた人は一部だけであり、結果的に世界的な貧富の格差が広がり、各国の相対的な貧困層がスタグフレーション(※)に苦しむという構図が生まれました。

こうした背景から、SDGsの中の経済的な不平等解消の目標の優先度も上がっていき、いわゆる「意識の高い人たち」の主要な興味関心もLGBTからカーボンニュートラル、環境問題、経済格差の是正などに移って行きました。

※スタグフレーション…原油や原材料費の上昇でコストが押し上げられ、国内の経済が芳しくない(つまり、給料が上がらない)状況であるにもかかわらずモノの値段が上がる現象のこと。

一連のLGBTブームの光と影

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ここまで述べてきたように、私個人としてはここ数年の世の中でのLGBTブームのようなものは非常に冷ややかに見ていました。ただ、今回のブログでは「影」の部分ばかりにスポットを当てていましたが当然「光」の部分もあったと思います。

先に私は経済が大事、外交・安保が大事と言ってきましたが、だからと言ってLGBTが何の不便も抱えていないと言えばそれも嘘になります。
最もわかりやすいところで言えば、私たちは2022年現在の日本では結婚(≒法的根拠のあるパートナーシップ制度を結ぶこと)ができません。これを実現するためには、新たに法律を作らなければなりません。トランスジェンダーの方々がしかるべき医療機関で治療を受けやすくしようとしても、それは社会保険制度の改正などにも関わってくる話であり、これらどちらの問題に関しても法律を作ったり改正したりする必要があります。

そして、法律を作ったり改正したりできるのは政治です。なので、結局最終的なところで政治の力を借りなければならない時が来るのもまた事実でしょう。

こうした中で、2021年に行われた自民党総裁選、野党第一党の立憲民主党の代表選で各候補者がLGBTに関する姿勢を明言したのはかなりの前進でしょう。これまで趣味や嗜好、単なる性癖と見なされてきたセクシュアリティが、実は制度や法律の策定にまで関わってくる問題を抱えている存在である、という認識が与野党ともに認識されたというのは、ここ数年のLGBTブームの一定の成果と言って良いのではないでしょうか。

ブームが終わっても、私たちは毎日を地道に生きていく

このように、世間のブームや関心というのはふとしたきっかけで発生し、そして一瞬で消えていくものです。

ブームになろうとならなかろうと、セクシュアリティというのは自分の力で簡単に変更することができない基本属性の一つであり、当事者としては一生付き合っていかなければならないものです。

私は、人の一生や生きる目的というのは、各々が幸福を追求することそのものだと考えています。世間から注目されているとか、されていないとか、そういうことは幸福の追求とは一切関係ありません。

LGBTブームを通して様々な功罪があったと思います。私としても自分の「存在」や「基本属性」がブームになるというのは、あまり良い気分のするものではありませんでした。

ただ、宴の終わった今、冷静に思い返すとそうそう悪いことばかりでもなかったのかなとも思い返されましたので、今回のエントリを書きました。

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