会社を辞めて取り戻した平穏な日々―苦しんでいる方に伝えたいこと―

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どうも、英司です。

 

最近、世を賑わせている「ブラック企業」ネタですが、私の体験した仕事上でのブラックな体験を書きたいと思います。

 

8月に会社辞めました

 

今年の8月末を持って、2014年の11月からお世話になっていたWEBの媒体社を退職しました。それまで、企業の広報担当として、主に媒体社を相手にリリースを打ったり、取材に答えたりという仕事もしていたので、今度は媒体社側に行ってみたのですが、端的に言ってあの転職は人生最大の失敗でした。

 

充実していた生活を捨ててしまった

 

件の媒体社(以下A社)に入る前に、広報・経営企画の仕事をしていた会社(以下B社)では、媒体社とのリレイションや取材対応という仕事の他、コンシューマー向けの広告制作と出稿、WEB分析とマーケティング、新規事業の立ち上げなど、小さな会社故に幅広い仕事を任されていました。

 

会社として新しい取り組みも多く、最初のうちは手探りなことが多く大変なときもありましたが、たかだか20代半ばのクソガキだった私にきちんと向き合い、信用してくださり、あそこまでいろいろな仕事を任せてくださった社長や役員には感謝していました。

 

ただ、20代最後の年、29歳になった時にいろいろと気の迷いが発生してきました。決して業績が悪いわけではなく(むしろ中堅企業にしてはかなり優良な黒字体質の会社だった)、人にも恵まれた環境ではありましたが、30代を迎えるにあたり、もっと大きなステージで活躍したい、と考えるようになっていきました。

 

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当時の好景気も手伝い、転職活動は思ったよりもスムーズに進み、結果、B社よりも大きく、株式も上場しているある程度大手のWEB媒体社であるA社から内定をいただきました。このA社にて、タイアップ記事広告の制作ディレクターとして働くことになりました。

 

B社を退職することになり、社長や役員に退職の旨を伝えたところ、皆さん本当に残念がってくださりましたが、最終的に社長は、「ウチのような会社で経験を積んで、A社のような有名な会社で通用するなんて、誇らしいことだよ」と仰ってくださり、快く送り出してくださいました。まさに涙ながらのお別れでした。

 

そして、期待を胸に飛び込んだ新しい環境。A社での生活が始まりますが、ここでの生活は大変な後悔の連続でした。

 

社会人としての能力が大きく後退した2年間

 

A社では記事広告の制作ディレクターとしての生活が始まりましたが、求められる能力と言えばいかに早く、ミスなく、多くの記事風広告を作れるかという「作業」だけで、営業と一緒に企画や記事案を考えたり、アクセス数を解析したりという、頭を使ったホワイトカラーらしい仕事は求められませんでした。

 

実際、評価方法も【担当した広告記事の本数×ミスの数】という単純なもので、言われた仕事以外のことをしてもまったく評価されない環境でした。

 

おまけに、上司(40代女性)との関係も最悪でした。当該の上司は常時必ず1人は「気に入らない奴」を見つけては、その対象を目の敵にして、やることなすこと全て監視した上で批判や攻撃をしまくるタイプで、一定期間それを繰り返すと、また違う対象を見つけて…ということを繰り返すヒステリー持ちの上司でした。

 

その上司は絶望的なほど口が悪い上に口が軽く、自分のチーム内で少しでも気に入らないことがあるとすぐにヒステリーを起こした上、カッとなってあることないことを他部署の人などにグチグチ吹聴する癖があり、チーム内で起きているトラブルなど、私が把握するより前に他部署の人に知られているということも多々あり、大変仕事がしづらい環境でした。

 

来る日も来る日も同じ内容の仕事ばかり、(頭は動かさず)ひたすら手を動かして記事広告の制作「だけ」に追われる毎日。次第に、B社で広報全般・経営企画室の仕事を試行錯誤しながらやっていた時代を懐かしく感じるようになっていきました。そして明らかに、自分が付加価値労働者という意味での「ホワイトカラー」としての能力が堕ちて行っている実感がありました。

 

上司からターゲットにされる

 

そして、件の上司も、目をつけた社員いじめに飽きたり、ターゲットが辞めていったりで相変わらず次の標的を探している感じでしたが、不運にも、私がその標的にされ始めたのが、2015年秋くらい、ちょうど入社から1年経ったくらいの時のことでした。

 

言動のひとつひとつが監視され、いちいち嫌味を言われるようになり始めました。最初は耐えていましたが、例えば有給を取得しようと思い、申請を出すと理由を聞かれ、理由を話すと「そんなことで休むなんて頭おかしいんじゃない?」などと怒鳴りつけられるなど、明らかに労基法違反と思われる行為も始まり、徐々にそれはエスカレートしていきました。

 

自分の無能さを隠すための異動

 

そんな中でも、必死に耐えていたところ、私が少し難しい案件を持つことになりました。クライアント側も非常にロジカルで、数字にも細かく、ツッコミも激しいお客さんでした。

 

私としても試行錯誤することとなります。ただ、それに関して助言を求めようと当該の上司に相談に行っても、「私にそんなこと相談してこないで!」と平然と言い放たれました。いかにも「メンドクサイ案件に関わりたくない」と言った様子で、結局のところその上司の更に上の上司に相談に行ってやっと助言などをもらえるという状況が続きました。

 

その案件は長期に渡る案件で、年度をまたぐことになりました。年度末を迎えたある日、上司に呼び出されました。すると、突然の異動が決まりました。異動と言っても、同じ部内の違うチームへの異動だったのですが、当該の難しい案件のみ私が持ったまま、違うチームへ異動することとなりました。

 

普通なら、持っている案件などは引き継ぎを行ってから異動するはずで、不自然に思いました。すると、案の定、社内の別の人が「○○さん、あの案件が面倒になったから異動させたみたいだね」と言って来る人がいました。

 

コストのかかる余剰人員など抱えている余裕のない中小企業にいた私としては、上司が難しい案件を解決できない場合、その上司が異動になるとか、降格になるとかなら筋は通るものの、当人にも少なからぬ負担になる異動を、自分の都合で部下に命じるなど少し神経を疑います。

 

なので、そういうのはおかしいのではないか、と然るべき社内の人間に相談したところ、返ってきた反応に言葉を失いました。

 

「○○さん(当該の上司)、未婚で40代でしょ?ウチの会社クビになったらもう行く先がない人だから、自分の能力がついて行ってないことを会社に隠しておきたいんだよ。だから許してあげて」

 

と言われました。

もうダメだと思いました。私がこのような動きをしたからでしょうか、異動した後も相も変わらず嫌味は続き、私に関してあることないことあちこち別部署の人にもぶち撒けて噂を立て、部内でも私の悪口を言い振らすなど、私を孤立させるような工作を取られました。

 

事実、当該の上司の直下で働いている同僚の何人かは、私が挨拶をしても無視するなど、あからさまに態度に現れるようになっていきました。もうこの会社ではやっていけない。仕事も面白くないし、人間関係も崩壊しそうだ…。そのどちらかがうまく行っていれば救いもありましたが、自信と希望に溢れて、社会人として輝きを放っていた29歳の頃の自分の面影はもはやそこにはなく、失意の底で自信を喪失してしまっていた31歳の自分がいました。

 

恥を忍んでカムバックを決意

 

そんな状況からの突破口を画策していた6月のある日、前職であるB社時代の同期の誘いを受け、飲みにいくことになりました。B社の社長はまだ若く、私と誘ってくれた同期は先代から現社長が会社を引き継いだばかりの頃に採用された社員で、つまり、現社長にとっては自分が初めて採用した社員ということで、非常に強い思い入れを持ってくださっており、この日の同期との飲みにも社長が来てくださいました。

 

近況報告などをしつつ、思い出話に花が咲きました。しかし、悲しい気持ちになりました。

 

B社で培ったスキルが十分に活かせていない現在の職場。上司との関係もうまく行っていない日々の会社生活…。同期や社長に報告できうるような近況など私にはなく、とても悲しい気持ちになりました。同時に、またこの人達と働けたらどれだけいいか、と思うようになりました。

 

そして翌日、社長に前日のお礼のメールを送るとともに、恥を忍んでもし可能であれば、ぜひまた皆さんと一緒に働きたい旨を伝えました。

 

するとすぐに「そういうことだろうと思ったよ」と返信が来ました。後日、新たに社長や役員と面談をすることになり、その後は驚くほどスムーズに話が進み、再びB社から2回目の内定をいただくこととなり、カムバックを果たすことになりました。

 

B社からは可能な限り早めに来て欲しいと言われたため、内定が出た直後にA社に退職の意を伝えることにしましたが、ここからが新しい地獄の始まりでした。

 

退職できない危機

 

早速、6月の中旬にA社に退職の意を伝えましたが、簡単に受理はされませんでした。例の上司は案の定ヒステリーを起こしてしまいました(私が辞めることで自分の評価が下がるという理由から)。

 

しかし会社にそれを止める権利などありませんし、こちらの意志は固かったので、社内で大変親身になってくださった方から慰留もされましたがこちらとしてはキッパリと、退職したい旨は変わらないと言い切りました。

 

結局、6月の下旬には私が退職することは内々で確定し、退職日も引き継ぎなどを含めて8月末日としたのですが、7月も末日になっても私が退職する旨がなかなか全社に広報されません。

 

全社広報がなされなければ、引き継ぎなどもできないため発表を引き伸ばしにされるのは困ると何度も申し上げ、その上私より後に退職する人の広報がされるようになった8月に入って、ようやく私が退職する旨が広報されました。もう、退職が2週間後に迫っているタイミングでした。

 

そういう事情からなかなか後任者を付けられなかったため、退職の2週間前になって急ピッチで後任への引き継ぎを行いましたが、到底間に合うものではありません。もっと前から退職することはわかっていたのに、こちらから何度も催促してようやく退職の広報がされる始末でしたので、そのままスルーしていたら私が退職を思いとどまるとでも思っていたのでしょうか。お客さんがいることで、引き継ぎに十分な時間を取れないなど本当にありえません。

 

結局、退職の前日になっても電話は鳴り止まず、連日深夜まで対応に追われる毎日で、退職日となる8月31日の夜に会社携帯とノートPCを返却してもFACEBOOKメッセンジャーに引き継ぎ内容に関するメールが飛んでくるなど、とても明日から違う会社に行くという感じではありませんでした。

 

私がA社に退職の意を伝えたのはもう2ヶ月半も前のことで、B社には限界まで待ってもらいました。それなのに私にも、私が次に行く会社にも迷惑をかけることにもまったく自覚がないA社には、最後の最後まで心底愕然とさせられました。

 

在職中にプライベートで起きたこと

 

A社に在職中、プライベートでもいろいろと深刻なことが起きました。一言では言い表せないくらいいろんなことがありましたが、やはりその原因はすべて、自分の性格がキツくなっていたことに起因していると思います。

 

前述のように、日々上司には辛く当たられ、そのことに引っ張られるようにして仕事も満足にこなせなくなってしまっていました。

 

日々言動を監視され、少しでも上司の意に反したことをするとヒステリーを起こされていると、毎日必要以上に緊張してしまい、それまでうまくこなせていたこともできなくなってしまうなど、今考えれば精神的にかなり追い詰められていたな、と思います。

 

しかし、そういう環境にいると不思議なもので、理不尽な扱いばかりしてくるその上司に対して怒りを覚えることができなくなっていて、すべて「自分が悪いんだ」と思ってしまう(思わされてしまう)のです。

 

以前の自分では考えられないようなミスを犯してしまったり、休みの日など、寝ても寝ても疲れていていたりして、次第に仕事をしていない時間もいつもイライラするようになっていました。

 

そうしているうちに、心を許していた友人につい辛く当たってしまったりすることもあり、失ってしまった友人もいました。

 

今思えば、人に親切にしたり、思いやったり、友達や家族を大切にするという、人間として一番失ってはいけない道徳観をすっかり失ってしまっていたと思います。

 

A社に在籍中、ある時期からこのままではいけないと思い、カウンセリングに通い始めました。カウンセラーの先生と話しているうちに、仕事上、「怒り」という感情があると業務の邪魔になるので、「自分が悪い」と思うことで無意識的に必死に怒り抑えており、しかしそこで発散できなかった怒りがプライベートな時間に現れ、いつもイライラしてしまったり、人に当たってしまったりしているのだとわかりました。

 

その後、怒りをコントロールする方法などをいろいろと学びました。少しずつ怒りをコントロールできるようになって来ましたが、やはり根本的なストレスを取り除かない限り本質的な解決にはなりませんでした。

 

そうしたプライベートでの一面も、A社を辞めようと決心した理由のひとつでもありました。A社は新築のビルに入居し、デザイナーが手がけたオシャレなオフィスを持つ会社でしたが、私はそういう外面的にきらびやかな生活と引き換えに、取り返しのつかない大切なものを失っていたことに気付き始めていました。

 

B社に戻った今、しばらくはリハビリ期間

 

9月1日に晴れてB社に再び迎え入れていただけることとなりました。B社に戻ったら早速、新規事業にアサインされ、会社が始める新サービスのプロモーション全般を担当し、今に至ります。

 

決められた仕事のやり方がなく、試行錯誤しつつも事業を進めて行けるこの感覚を取り戻すのに、そんなに長い時間はかかりませんでした。

 

今ではすっかり以前のリズムを取り戻し、同僚たちとの関係も至って良好で、日々の仕事にやりがいを持って取り組めています。

 

カウセリングにはまだ通っています。ただ今ひとつ悩んでいることは、A社の上司や、その上司の言いなりになって私を無視した人たちへの怒りが今になって沸々と湧いているということ。

 

またいつその「怒り」に自分が支配され、せっかくもうあの人達とは関わらなくて良くなったのに、誰かに辛く当たってしまったり、イライラしている自分のみっともない姿を誰かに見られてしまったりするのではないか、と、恐怖を覚えています。

 

先日カウンセラーの先生にそれを相談したところ、A社に在職中に必死に我慢していた「怒り」という感情が、友達や家族や自分に向くことはなく、自分を苦しめた上司や一部の同僚に向き始めたというのは精神的にとても大事なことで、噛み殺していた「怒り」という感情が時間差で正常な形で現れてきたことは精神が回復に向かっている証拠だと言ってくださり、気持ちもとても楽になりました。

 

時々A社に在職中のことがフラッシュバックすることもありますが、幸いにしてそのせいでイライラして人に当たったり、日常生活もままならないほどの怒りに支配されたりするまでには至っていません。

 

休日は仕事を忘れて気分転換し、平日は意欲的に働けている状況に変わりはなく、A社に在籍中のようにお酒や性行為に溺れるようなこともなくなりました。

 

このエントリを見た人たちに伝えたいこと

 

私はA社に在籍中、上司のキツイ態度や理不尽な言動に直面するにつけ、いつも「自分が悪い」と自分に言い聞かせてきました。

 

ただ、ブラック企業や上司からのパワハラなどを経験した人は、一様にこれと同じ考え方をしていることに気づきました。

 

私も今思い返せば、あそこまで苦しい状況になる前に会社を辞めるという選択肢も取れたはずで、30歳を超えた大人になれば、その選択を咎めるような人ももう周りにはいません。

 

自分が悪いと言い聞かせることで「怒り」という感情が発生しないようにして仕事を続け、自費でカウンセリグに通ってまで仕事を続け…。もうちょっと早い段階で「逃げる」という選択肢を選べたのではないかと思います。

 

もし今、同じようなことで悩んでいる人がいたら、自分が悪いと言い聞かせることは良くないし、時に「逃げる」という選択が何よりも正しい答えだったりすることもあるよ、ということを伝えたいです。

 

今、少しずつではありますが、人としての優しさや温もり、他人を思いやる心を取り戻しつつあります。そういう意味で、2016年は「再生」の年だったと言えるかもしれません。

 

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