「社会学」を嫌いにならないで!

社会
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どうも、英司です。最近、メディアに「社会学者」を自称する人がたくさん出て、好き勝手なことを言っているお陰でここ数年、非常にイメージが悪くなった「社会学」について書きたいと思います。

 

なぜ社会学がここまで嫌われるようになったのか?そして、実は面白い社会学の魅力について解説していきたいと思います。

 

今、「社会学」が嫌われている?

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昨今、「社会学」のイメージが非常に悪いです。私は社会学部で4年間学んで卒業した身として、昨今一部の社会学者を自称する人たちの身勝手な言動により、社会学という学問領域そのものまでが信頼性を損ない始めている現状を、非常に嘆かわしい気持ちで傍観して来ました。

 

私には学問における権威はまったくありませんが、そろそろこの辺りで、まかりなりにも社会学の学士号を持っている者の一人として何か発言しなくてはという気持ちになり、今回筆を執りました。

 

社会学が嫌われる原因は「自称社会学者」たちにあり

 

もう10年以上前の話になりますが、私は都内の総合大学に通っていたため、様々な学部で学ぶ学生が集まるところで社会学を学んでいました。

 

経済学や法律学のように学問としての歴史が長いわけでもなく、日本文学や英米文学のように研究対象が明確なわけでもない(そもそも研究対象が「社会」ってどんだけ広いんだ・笑)ため、よく他の学部の友人たちからは「何を勉強しているかイマイチわからない学部」と言われていたものです。

 

それが今となっては、社会学=胡散臭い、頭でっかちという嫌な印象が先行してしまっている印象を受けます。

 

その主要な原因のひとつは、マスコミが「社会学者」として紹介する人たちにあるでしょう。もちろん、中にはしっかり教鞭を取ってきた実績のある方や偉大な理論を発見した方もいらっしゃいますが、単なる政治活動家やエッセイストの領域を出ない水準の人が社会学者という肩書であれこれ面白おかしくコメントしている姿がこの「胡散臭さ」の元凶になっているのだと思います。

 

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経済学者を名乗るのであればアダム・スミスやケインズの提唱した理論くらいはパッと説明できて、現代の日本や世界の経済に精通していないといけないという常識がありますし、法律家を名乗るのであれば、せめて法曹界での国家資格を持っていることが望ましいという常識が存在しています。

 

しかし社会学者にはそうした「最低限これだけは習得しておくべき王道的理論」がなく、メディア的に面白いことが言える人なら「社会学者」を名乗っても良いという暗黙の了解がマスコミ内に蔓延しているように感じます。

 

さらに、最近は政治活動家の中にも社会学者を自称する人が多くなりました。具体的には、安保法制や反原発、反ヘイトデモ等に参加する人の中に「社会学者」を名乗る人が多く、「社会学を学べば差別はしなくなる」などと言い出す方も現れるなど、社会学という学問領域が特定の偏った政治的イデオロギーと結びついているかのような印象が持たれ始めています。

 

確かに、社会学とは研究対象が「社会で起きていること全般」となるわけですから、社会学を勉強する人の中に差別について研究する人、社会運動について研究する人がいてもかまわないと思います。

 

ただ、そうした領域の研究は社会学という学問領域のほんの一部に過ぎません。それに、社会学者が差別や社会運動を研究するとき、その現場に赴くことは非常に重要なことですが、あくまでそれは「観察」でなくてはなりません。

 

現場に赴く目的はそうした運動が社会のどんな分野にどんな作用を及ぼすかということを研究し、予測することであって、個人的な政治的立場を理由に一緒になって運動に没頭するのは「個人として」やるべきことで、そこで権威付けのために「社会学者」を名乗るのは相応しくないと思います。

 

昨今はこのように社会学が「利用」され、「消費」されている現状があり、学問領域そのものの信頼性すら毀損され始めていると危惧するところとなりました。

 

本当はとてもおもしろくて厳しいのが社会学

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「社会学とは何か?」という問いは、社会学を勉強した人の中でいつも困った質問として扱われます。何せ研究対象が「社会で起きている出来事全般」ですから、凶悪事件について研究している人もいれば、若者の流行について研究している人もいるわけで、なかなか一言で「こういうものです」と答えることができません。

 

これに関して私が見出した答えは「相互関係を研究する学問である」というものです。少しわかりづらいので、今回は図解を使って説明していきたいと思います。

 

通常の学問領域の概念図

 

概念図作成:英司

 

通常、経済学部や法学部、文学部、工学部などで学べる分野は、上図のように体系立った学問をしっかり学ぶ、というものでしょう。

 

一方、社会学は下図のようになります。

 

社会学の領域の概念図

概念図作成:英司

 

この赤色の「相互関係」と書かれた矢印こそが、社会学の研究対象となります。

 

とても平たく言えば経済界であることが起きた/ある政策が実行されたとなれば、ではそれが行政や法律にどのような影響を与えるか、技術開発にどんな貢献をするか、はたまたその暁にその時代のその社会に生きる人々の価値観や生活様式にどんな変化をもたらすか、ということを、様々な背景やデータを総動員し、過去の出来事であれば分析、現在や未来の出来事であれば先を予測し、あるものごととあるものごとの相関関係の有無と強弱を明らかにしていく学問、と私は定義付けしました。

 

ですので、時にはあまり得意としない分野の話も含まれてきますし、専門外となる領域の理論も簡単な概要だけは理解しておく必要が出てきます。また、特に人々の意識や価値観に及ぼした影響を知りたい時は統計学の知識を駆使して数値を読み取ったり、社会調査で使う難解な数式を使った計算を行う必要もあったりするなど、意外と大変な学問領域なのです。

 

このように、社会学には「この偉い先生のこの本を理解できれば社会学を学んだと言える」というような基準がほぼなく、「相互関係」や「影響範囲」をひとつひとつ研究していくことで現代社会の傾向や法則を明らかにしていくという学問の性質上、ある意味誰でも名乗ろうと思えば社会学者を名乗れてしまう学問領域になってしまっています。

 

ここまで見てきたように社会学というのは、何か特定の「理論」を理解するのではなく「ものの見方」を学ぶ学問という性質が強いため、1つの事象に対していかに多くの「違った視点」から分析ができるかが、この「相互関係」を正確に捉えるための鍵になって来るのです。

 

つまり、本来であれば多角的な視点から自分の主張を検証しなければならないところを、自分の主張のみが正しいとして政治運動に没頭する一部の「自称社会学者」などが、いかに本来の社会学の魅力を傷つけているかがおわかりいただけたかと思います。

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社会学は実はとても役に立つ

 

ここまで、社会学を学んだ一人として社会学の本来の姿を解説してきました。テレビに出ているエッセイストや怪しげな政治運動家などの「自称社会学者」しか知らなかった方にとっては、少し意外な内容だったのではないでしょうか。

 

国立大学から文系学部をなくそうという世の中の流れがありますが、私は今こそ社会学は見直されるべきだと思います。

 

社会人として10年。広報PR・WEBマーケティングの仕事に従事して7年になりますが、社会学は社会に出てとても役立っています。

 

無味乾燥な数値の羅列から現代社会で生きる人々の価値観や行動様式を読み解くトレーニングは、まさにWEBマーケティングに必要なスキルでしたし、メディアと人々の価値観の関係性という領域で学んだことは、まさに広報PR業務で重要な内容です。

 

実務的なこと以外でもその経験は生きています。社内のどこかの部署や支店で何かが始まったら、他にはどんな波及効果があるのかを考える癖がついたのも、社会学を学んでいたことが影響していると思います。

 

悪い波及効果が起きそうな時はそれを最小限に、良い波及効果が起きそうな時はそれを最大限にする工夫を。

 

物事をそれ単体ではなく、前後関係や背景を意識し、大きな文脈の中のひとつの出来事として大局観を持って考える、という力は、若手の頃ならあまり意識しなくても良いかもしれませんが、30歳を超えて中堅の会社員になってくると、すごく求められる能力のひとつです。

 

社会学を学ぶことで習得できるフレームワークは、私のような一般企業でのマーケティングやPRの仕事以外にも、公共政策や社会福祉、都市計画や地域おこしなどと言った場面でも大きく役立つものです。

 

最近どうにも評判が悪い社会学ですが、私はこの社会学の魅力を少しでも発信していければと思いました。

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