「差別」という言葉が招くもの-自身の体験から考える

 

どうも、英司です。夏は遊び呆けておりまして、久々の更新になってしまいすみませんでした。

 

さて、最近物騒な話題も多いLGBT界隈。一部の方々の現在のヒートアップ加減を見ると、とてもではないですがまともな議論ができるような状況にないと感じていますので、直球なエントリは控えさせていただきます。

 

そんなわけで、今回は「差別」という言葉について、私自身の若かった頃の体験談と、その体験から得たことをご紹介したいと思います。

 

 

カミングアウト以降の生活

 

私がゲイ業界に出入りするようになったのは大学2年の終わり頃で、3年生の途中くらいからは、大学で仲の良い友人などには少しずつカミングアウトをするようになっていきました。

 

幸いにして理解ある友人に囲まれ、カミングアウトをする以前と何も変わらない毎日を送ることができていました。むしろ、恋愛話になった時などは不自然に隠すようなこともなくなり、私に気軽に恋愛の相談をしてくる友人も増え、以前より仲良くなれたなと感じるノンケの友人さえいるくらいでした。

 

 

しかし、そこは私を含めまだまだ未熟な20歳そこいらの大学生です。全員が全員、以前と変わらず…なんてパーフェクトな対応なんてできません。

 

「同性愛者なんて嫌だ」という人はむしろ応対は簡単で、何もしなくても次第に疎遠になるだけのことですが、一番関係性を保つのが難しかったのが、好奇の目であれこれ詮索して来る人でした。

 

つい口走ってしまった「差別」という言葉

 

たくさん人がいるキャンパスで休み時間にデカイ声で「男役と女役どっちやってるの?」とか、「フェ◯するときってどんな気分?」とか、場所もわきまえずに聞いてくる粗暴なタイプの友人もいないこともなかったです。

 

まぁ私もテキトーに返事をしてその場の空気を保っていたのですが、ある時、少し私も他のことで機嫌が悪かったことも相まって「そういうのいい加減やめてくれる?差別だよ、それ」と言ってしまいました。

 

あの時のその場の空気、今でも忘れられません。なんというか、一瞬であたりが凍りついたような感じです。

 

普通に不自由なく暮らして来て、ちゃんと学校に行って人並みの教育を受け大学にまで行き、決して野蛮ではない人間だと思っていた自身に対し「お前は差別をしている」と言われたこと、その友人は相当ショックだったようでした。

 

私もその味わったことのないような空気が恐ろしくなり「なんつってー!ウソぴょーん(笑)」みたいな感じで誤魔化したと思います(ウソぴょーんが時代を感じさせるとかってツッコミは勘弁いただきたい)。

 

しかし、結局その日の夜、アルバイトから帰ると彼からとても申し訳なさそうな感じでメールが来ていました。

 

幸い、その友人とは既に大学1年からの付き合いでしたのですぐに関係は修復できましたが、私はそのとき「差別」という言葉を使うと、どんな人からも反論の余地を奪い、例え自分が誤った主張をしたとしても相手を謝罪させてしまうほどの威力を持った言葉なのだと実感しました。

 

もちろん「差別という言葉は使うな」なんてことは言うつもりはありません。ただ、社会的には少数者とされる人間がこの言葉を発するときに周囲に与える影響や衝撃に関しては、より自覚的であるべきだ、と、この時の出来事で深く実感しました。

 

乱発すべきでない「差別」という言葉

 

以前、色恋沙汰に「差別」とか「正しさ」を持ち込まないで欲しいというエントリを書きました。

 

 

この話も根本的な部分は一緒で、端的に言えば「そんなことで『差別』なんて言葉を使わないで欲しい」というのが私の率直な感想でした。

 

私は上記の自身の体験をもって、自分のような立場の人間が「差別」という言葉を発するとき、その取扱いには十分注意すべきだという考えを持つようになりました。

 

当然、生まれ持った基本属性を理由に生存権すら脅かされるような場面、脅迫や暴力、こういったものに晒されるようなことがあれば、いよいよ私も「差別はやめろ!」と叫ぶでしょう。

 

しかし私にとって、それは最後の手段です。仕事でもプライベートでも、セクシュアリティ関係なく様々な人と関わり、良好な関係を築き、心身ともに楽しく充実した日々を送る上で、このように相手から一切の反論の余地を奪い、無条件に屈服させられてしまう言葉は乱発すべきでないと、私は考えています。

 

この運用を誤れば、次第に「あの人に関わると面倒くさい」などと思われるようになり、誰からも相手にされなくなるかもしれません。

 

もしくは周りも大人なので表面上では仲良くしていても、内心「あの人にいつ屈服させられるかわからない」などという恐怖を抱かせ、無意識的に対等でない、厚い壁のある関係しか築けなくなってきてしまうと思います。

 

ですので、あまり軽々しくこの「差別」という言葉を他人に対して乱発してしまうと、本当に助けが必要な時に、誰からも相手にされなくなってしまうのではないか、と、昨今のLGBT界隈を見ていて不安に思う所存でした。

 

 

今回は私の過去の体験談と絡めて、少し思うことを書いてみました。ひとまず、早いところ状況が落ち着くことを願います。