まだ、何者でもなかったあの頃-「本気」ってダサイこと?

 

どうも、英司です。いよいよ花粉症のシーズンが訪れ、戦々恐々としている毎日ですが、いかがお過ごしでしょうか。私としては、15歳に花粉症を発症し、花粉症歴は19年(!)になるのでなかなかシンドいシーズンです…。

 

先日、こんな記事を見つけました。

 

あの高円寺のユニットバスで、何もかもを欲しがっていた

 

最近見た中で一番ジーンと来た、大変良い記事でした。私も先日34歳となり、22歳で親元を離れて自立してから、気付けば12年もの月日が経過していました。この記事の筆者も高円寺での思い出を語っており、私自身も(2度ほど家は変わっていますが)一人暮らしを始めてから今に至るまで高円寺に住んでいますので、尚更親近感も湧いたのだと思います。

 

 

 

今月誕生日を迎え、もう「若者」とは言えない年齢になりました。過去を振り返ってどうこう、というのは、私もあまり好きな作業ではないのですが、とても良い記事に出会ったので、少し記事を引用しながら今回のエントリを書きたいと思います。

 

若さゆえの「いびつさ」

 

 

当該記事で最も共感し、まるで自分のことを言われているのでは、と思った部分が下記の引用部分でした。

 

まだ何もしておらず、何も持っていないからこそ、何もかも見下していました。 若い頃の自分を思い出すと、まず「戻りたくないなぁ…」という気持ちが浮かんできます。 端的に言って、あの頃のわたしはクズでした。 いや、より正確に言うと、若かった頃は、自分のクズさ具合やめんどくささを表出したまま周囲に受け入れてほしがる、わがままな人間でした。 その「わがままさ」は、ほぼそのまま「いびつさ」と言えるでしょう。

 

たいていの人は心に「いびつさ」を抱えていて、若い頃は特に、その「いびつさ」こそが「自分らしさ」だと思っていたりします。たちの悪いことにわたしの場合、だからこそ「それを曲げたり直したり隠したりしてはいけない」と思っていました。むしろ積極的に「それ」見せることが誠意だとさえおもっていた。

 

けど実際には、「生まれ持って備わっている程度のいびつさ」は誰だって大なり小なり抱えているし、その程度の「いびつさ」は、とりたてて何か新しいものを生み出せるキッカケになるものでもなかった。 あの頃のわたしはそんな簡単なことさえわかっていなかった。

 

もう、この部分を最初に見たとき「ア痛たたた…」としか…(笑)

 

20歳頃から20代中盤くらいまでの私そのもの、と言った感じです。私もあの当時は、洗濯機が玄関の外にあり、鉄階段、夏になればGが出る、大和町(住所に「高円寺」が入らないという理由で最寄りが高円寺駅もだいぶ家賃が下がるんです・笑)にあるユニットバスの木造アパートに暮らしており、小汚い赤ちょうちんの店に通い(実際にはそういう店にしか入れなかっただけ・笑)、高円寺の路地にある本当の食通が訪れるようなお洒落なワインバーやレストランを横目で見つつ、本当は「あんな店に入れるようになりたいな」なんて思いながらも「こういう赤ちょうちんこそ名店!そしてそんな店を知っている自分は食通だし!」みたいな謎の強がりで自尊心を保っていたものです。

 

オシャレなカフェや古着屋街がある一方、高架下や一本通りを入ればこんな赤ちょうちん街があります

 

 

オマケに私はゲイです。二丁目の過酷なヒエラルキーにも直面していました。特に若い頃は他人と比べがちでしたし、信じられないくらい沢山の人が住んでいる東京という街には、同年代で自分よりもルックスが良い人やお金を持っている人、上品な人、頭の良い人…そんな人は星の数ほどいます。

 

若い頃は自分も周りも刺々しかったこともあり、何か軽い敗北感を抱くたびに、当該記事でもちょうど出てきて驚きましたが「自分はヴィム・ベンダースの映画の良さがわかるし」(記事で出てくる「ベルリン、天使の詩」の監督です)とか「STUDIO VOICEの読者だし」「(井出靖さんが主宰する音楽レーベルの)Grand Galleryを欠かさず聴いているし」みたいな強がりを心の中で唱え、実に痛い…もう痛すぎる若者時代が思い出されます。

 

 

それでも「楽しかった」若者時代

 

そんなこんなで複雑な思いで過ごした若者時代でしたが、あの頃はあの頃で、とても楽しかった記憶があります。

 

就職し、親元を離れ、大和町のアパートに引っ越したときのことは今でも鮮明に覚えています。六畳一間にユニットバス、冬は寒く夏は暑い、隣の家が何のテレビ番組を見ているかわかってしまうような部屋に、次々と運び込まれる家具や家電。と言っても、家具はIKEAやニトリを駆使して安く調達し、家電に至ってはほとんどがリサイクルショップで揃えました。

 

一人暮らしが始まった初めての夜、ダンボールに囲まれた部屋で1人、晩飯代わりに買って来たたこ焼きを、段ボールを机代わりにして食べながら「ここが自分にとってスタートの場所なんだ」「もうここからは自分の人生、上がって行くしかないんだ」なんて思いを抱き、希望に満ちあふれていたのを覚えています。

 

初めて一人暮らしを始めた大和町のアパート

 

リノベーションされており中は綺麗でしたが、築は50年近い物件でした

 

朝まで飲み歩いていても誰にも咎められないし、何より都会のゲイにとっては重要な「場所あり」のステータスを得たことになります。まだ若くてあっちも元気でしたので、アバンチュールの数も増えました(笑)

 

次に引っ越した家は、一応は念願の「高円寺」の住所を手に入れ、いくばくか駅に近づきましたが、アパートのグレードはあまり変わらず、日々の生活も大して変わらない毎日を送っていました。仕事は生活費を稼ぐための手段、と割り切っていて、土日はパーッと遊ぶ。もう1ヶ月以上先の土日まで予定を埋めていました。今思えばあれも、家で1人、無限に自分に向き合う時間が増えるのが怖かったところもあったのかもしれません。

 

思春期に味わった成長痛のような「痛み」と、自分は何かスゴイことができる人間なんじゃないかという「希望」、つい他人と比べて抱いてしまう「敗北感」と、だからこそ少し背伸びをしてみたら見えた新しい世界を発見したときの「喜び」と…。複雑な、本当に複雑な思いが毎日交錯しながら過ぎて行った毎日でした。

 

すごくしんどくて、でもすごく楽しい毎日でしたが、やはり私も「あの頃に戻りたいか?」と聞かれたら「戻りたくはない」と即答するでしょう。

 

 

「可能性」と引き換えに手に入れたもの

 

当該記事の筆者も言うように、私もあの頃、何事にも「本気」は出していなかったと思います。仕事にしてもそうです。何度か転職もして、「自分はまだ本気を出していない」なんて思いがどこかにあって、もっと言えば「自分が本気を出せばもっとスゴイことができる」なんて粋がっていたんだと思います。

 

つまり、「自分は本来ならもっとスゴイ人間なんだ」という「可能性」を残しておきたかったんではないか、と。

 

仕事が楽しくなり始め、プライベートでも友人が格段に増えて行ったのはやはり27歳、28歳くらいの時だったと思います。それまではただ遊びに行くだけだったゲイイベントを、自分で企画・開催し始めたのもこの頃でした。

 

友達との共同企画で、初めてビーチパーティを開催しました

 

ビーチパーティ「Angela」初開催の様子 逗子海岸にて

 

共同企画をした友人たち
しかしこの後、逗子市の条例で泣く泣くパーティも開催が困難に…

 

ビーチパーティの後継イベントとして私が始めたのが、今は夏の恒例イベントとなった「Tinkerbell」です

 

Tinkerbellも昨年5周年を迎えました
年々、お客さんも、協力してくれる仲間も増えていることは、本当に嬉しいことです

 

 

 

そんな28歳の頃、今の家に引っ越しました。2軒目の家だった、駅徒歩10分の木造築30年のアパートから、駅からほど近い築浅のデザイナーズマンションへの引っ越しです。ようやくユニットバスから卒業し、部屋の面積も広くなり、鉄筋造なので騒音を気にせずに好きな音楽を聴いたり、これからは友達を呼んでホームパーティを開いたりできます。

 

当時30代も目前に控え、仕事でも決定権や発言権を持ち始めたことで大変さより楽しさが勝るようになり、プライベートも楽しむ余裕が出てきたとき。そんな中で今の家で迎えた最初の夜、自分で言うのも恥ずかしいものですが、人生が決定的に「グレードアップ」したことを噛み締めていた瞬間でした。

 

気付けば、毎日すごく「本気」で生きていました。

 

仕事も遊びも、とにかく全力投球っていうのが、アラサー世代の頃のスタイルでした。本気で生きれば生きるほど、かつて自分の弱さゆえに取っておいた「可能性」、つまり「俺は本気出せばもっとスゴイ人間だし」の「『スゴイ』はずの自分」が幻想だったことが確定していきます

 

これを確定させる作業というのは、自分自身で可能性を否定していく作業でした。しかし、その失っていく可能性と引き換えに、「自尊心」を獲得して行く作業だったと思います。

 

家や食の話が出てきたのでそれで例えますが、私が目黒区や港区の億近いマンションを買うことはできないでしょう。ジョエル・ロブションに日常的に通えるような生活も、ビジネスクラスで頻繁に南の島のリゾートに行ける生活も、私には縁がありません。

 

だけど一生懸命、本気で生きてきて、(もちろん今でも赤ちょうちんは好きですが)昔赤ちょうちんに行く途中に横目に見て本当は憧れていた、食通が訪れるであろう高円寺の路地にある洒落たワインバーやレストランに、今は常連客として通っていること。リーマンショックや東日本大震災などに起因する大不況も味わい、失業にまで見舞われるという大嵐の中、なんとかあの六畳一間の築50年近い大和町のアパートに踏みとどまって、よくここまでやって来られたな、という思い…。

 

私は中流家庭出身の、平均的な収入しかない、ごくごくフツーのゲイです。そんな私の生活は、他人から見ればどうってことのない生活かもしれませんが、自分としては「本気」で生きてきた結果築けた生活ですから、昔のように他人と比べて敗北感を抱いたり、逆にそれに反発して粋がったりするようなこともなくなりました。

 

今思えば、すぐ他人と比べて、自分が「持っているもの」よりも「持っていないもの」ばかりに気を取られていた頃は、自尊心が未熟だったのかもしれません。そしてこの自尊心を手に入れていくと同時に、「自分が何者であるか」も、少しずつ確定していく日々だったのではないかと思います。

 

まだ何にも本気を出しておらず、言い換えれば「何にでもなれると思っていた頃」は、「何者でもなかった」のだと。

 

得意な仕事は何か理解し、ある種のことにはこだわりを持ち、しかしある種のことには興味がなく無頓着。その興味を持つ対象や強弱、それに伴う選択や行動こそが「自分らしさ」や「何者であるか」であって、これには何の優劣も序列もなく、特段他人に誇れるようなカッコイイものでなくても良いんだと思えたのは、やはりこうした自尊心を獲得していく作業を経たからではないかと思います。

 

 

「本気」って意外と楽しい

 

随分と年寄りくさいエントリになってしまいましたが、いかがでしたでしょうか。若い頃から見栄っ張りでせっかちな性格の私ですから、こんな風に考えられるようになるまで、ものすごく遠回りもしたと思います。最近の若い子は大人っぽくてしっかりしていますから、「え、その年でやっとそんなことに気付いたんですか?」とか「英司さん、昔そんな尖ってたんですか!?」なんて笑われてしまうかもしれませんね(笑)

 

ちょうど私の思春期の頃は、なぜだか社会的にも「本気」とか「一生懸命」「真面目」と言った類の言葉が軽視されていたり、シラけた目で見られていたりしていた頃でした。そんな中で、「本気出してないし」というのが、思ったような結果を得られなかったときの保険のような働きも果たしてしまっていて、なんとなく口癖になっていたのかもしれません。

 

だけど、やっぱりこれまでを振り返ってみても、「本気」って楽しいんですよね。そして、楽しい企画も面白い仕事も、なんだかんだ言って「真面目」じゃなきゃできないんです。

 

 

少々長くなってしまいましたが、良い記事を見たのでそれに触発されたエントリを書いてみました。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。