コロナ対策に関する提言-負の感情を断ち切るために私ができること

社会
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どうも、英司です。
2020年4月7日(火)、ついに緊急事態宣言が発令されました。
私も翌日の8日から会社がテレワーク体制に入り、平日はもちろん土日もほぼ外出は控えるなど、すっかりと自粛モードに入りました。

前回のエントリでは、ツイッターアカウントが凍結されたことによりSNS疲れを起こしていたことに気づいた、という趣旨のことを書きました。

Twitter凍結事件以後に見えてきたもの-知らず知らずのSNS疲れに気づく
どうも、英司です。世間はすっかり新型コロナウイルス一色になっていますが、皆様は無事でしょうか。私はと言いますと、2月中旬頃にTwitterアカウントが凍結されてしまいました。凍結の基準はよくわかりませんが…...

あれから、以前ツイッターでも繋がっており、リアルでも仲の良い友人が新たなアカウントを用意してくれていました。また、実際に頻繁に会うほどでもないけど、SNS上で近況を垣間見ていた友人との連絡手段がなくなったことには正直不便していたため、新しいアカウントでツイッターを再開しました。

ただ、やはりというか、案の定というか、ツイッター上には怪しげな陰謀論、「科学的な事実」そっちのけでのイデオロギー闘争、政府が現金を支給しないことに対する暴言に近いつぶやき、特定の国籍の人一般に対する誹謗中傷などが跳梁跋扈する事態になっており、少し気持ちがゲンナリしました。ですので、今回はフォローする相手にも気をつけており、フォローしていないにも関わらず現れる、不快になるような投稿を頻繁にする人はミュート設定にするなど細心の注意を払っています。

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そんな中でも、自粛モードの状況下、家で楽しめる工夫をして投稿している友人や、以前と変わらず元気な姿を発信する友人の姿をたくさん見られたことは、それらを差し引いても嬉しく、安心感を得られることでした。

ツイッターに代表される匿名性の高いネット言論というものは、ともすれば非現実的な方向や過激な方向に進みがちです。

そうした言説には何の生産性もなく、不安感や憎悪と言った負の感情を伝播、増幅させる危険性すらあると感じました。

特に対案のない批判や、誰かが誰かを責め立てる姿というのは、本人もそうですが傍から見ている者にとってもしんどくなるものです。

私として何かできることはないかと考えた結果、政府や政治家をただ批判するだけでなく、生産的な提案をこのいつものブログですることで、「批判を見るのはもうしんどい」という方に僅かながらでも希望やひらめき、ヒントをご提示できればと思い、今回筆を執りました。

私もこうしたマクロ経済や公共政策に関しては専門分野ではありません。しかし、だからこそ専門用語は使わず、わかりやすい言葉のみを使って今回のエントリを書こうと思います。若い読者の方にも極力理解しやすいように心がけますので、よろしければお付き合いください。

日本政府の経済対策について

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緊急事態宣言の発令とほぼ時同じくして、108兆円の事業規模の経済対策が発表されました。一説には、この経済対策と同時に緊急事態宣言を発令したかったために緊急事態宣言の発令が遅れたのでは?という声もあります。

ちょうどアメリカが200兆円の経済対策を発表した後でしたので、なんとかそれに見劣りしない金額を示したかったのでしょう。

しかし108兆円と一口に言っても、あくまでこれは「事業規模」で、日本政府が108兆円の身銭を切るわけではありません。この108兆円の中には、税金の支払い猶予などと言った「終息後に支払わないといけないお金」や、民間の金融機関への返済猶予など、民間企業に涙を飲んでもらう事業費もすべて計上されており、かなり”水増し”された金額になっています。

政治家というのはどんな事態の時にも選挙対策のパフォーマンスには余念がないな、と、小言も言いたい気分にもなりましたが、それは置いておいて。

では、政府が身銭を切るお金、いわゆる「財政出動」もしくは「真水」と呼ばれるお金はいくらかと言われると、約39兆円とのこと。一般的に、真水ベースでの経済対策で効果を発揮するラインがGDPの5%と言われています。

日本のGDPは約550兆円なので、その5%は27.5兆円。つまり、5%というのは余裕でクリアしていることになります…と言いたいところなのですが、実はこの経済対策の中には、昨年末、消費増税に伴う景気後退を防ぐために計上した26兆円分の経済対策の追加予算の余り分も含まれているとのこと。もともと違う目的で計上された予算を2重でカウントする意味がよくわかりませんが、それを差し引くと、恐らくこの5%に届くか届かないか、と言った水準の金額でしょう。

どうすれば現金支給をうまくやれるか

国民世論の関心は、やはりなんと言っても国民への現金給付についてでした。諸外国ではすでに一律の支給が始まっており、日本政府もこれに足並みを合わせ、全国民への一定額の支給を期待する声が上がりました。

しかし実際には、住民税非課税世帯、および収入減により住民税非課税世帯並みの水準の収入に落ち込んだ世帯のみを対象とした現金給付に留まりました。

これは諸外国にも言えることなのですが、現金給付に関しては、日本政府も救済措置として行うのか、景気刺激策として行うのかを明確にするべきだと思います。

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今回の日本政府の決定を見る限り、住民税非課税世帯≒単身で月収10万円以下の世帯、ということですので、現金給付が行われる人はかなり限られます。
ですので、今回の経済対策は困窮世帯の救済措置という性格が強いようです。
今後終息が見えた頃に「景気刺激策」として何かしら国民への還元があることを期待します。

ただ、その際にも同じ問題、つまり「現金給付は一律でやるべきか、所得制限を設けるべきか」という議論が起きると思います。

私は基本的に、こうした景気刺激策は何より他の先進諸国とタイミングを合わせるのが重要だと考えます。世界的な同時不況なので、景気刺激策も「世界同時」でないと意味がないからです。なので、基本的には一律支給に賛成です。

ただ、「所得制限を設けるべきだ」という主張もわからないわけではありません。しかし、所得制限を設ける場合その線引きをどうするか?どの時点での所得をカウントするか?など、更に議論が必要となり、諸外国と足並みを揃えるのが難しくなります。

そこで、これらを両立するために思いついた方法を提案したいと思います。

給付金を今年の「所得」として換算し、課税対象とする

支給するスピードを重視し、なおかつ所得制限を加えるとするなら、既存の税制をうまく活用するのが得策だと考えます。

日本の場合、すでによく設計された累進課税制度が存在します。ご存知の通り、日本の場合所得税の税率は低所得者ほど低く、高所得者ほど高くなっています。

つまり、現金を給付する際、その給付金は2020年の「所得」として換算し、課税対象にすれば良いのです。すると、今年の年収に応じた税率が給付金にもかかることになり、来年、給付金×自分が該当する税率を税金として返還する、とすれば、支給時に手間のかかる計算や複雑な議論をする必要がありません。

また、この方法であれば、2020年のリアルな収入額に応じた税率が給付金にもかかることになります。
特に、飲食店やインバウンド向けの会社を経営されている方などは、昨年までは「高所得者」に該当する年収があったとしても、今年は半分から数分の1にまで所得が下がってしまう、という事態も発生していることが考えられます。

しかし、所得制限を設ける際、昨年の収入をベースにすると、こうした方々は「高所得者」に分類されてしまい、給付金が行き届かない可能性があります。

ひとまず一律で給付の後、来年に税金として2020年の収入に応じた額を返還する、という方法であれば、2020年現在のリアルな収入によって給付金の額が決定できることにもなります。

既存の税制度を活用することで、スピード感と収入に応じた傾斜配分をある程度実現できる案だと思います。

現政権の考えは企業>個人

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私は日本が、諸外国と足並みを揃えることなく、自己申告制で給付金を支給すると決めたことに対し、かなり呆れました。

しかも、自己申告と一口に言ったところで、どうやって所得が下がったことを証明するのか、虚偽の申告をした際はどれくらいの罰則があるのか、給付金はいつ振り込まれるのかなどと言った情報もまったくなく、政府内もかなり混乱している様子が伺え、心配にもなります。

ただ一方で、現政権が目指しているもの、重視していることも徐々に見えてはきました。政府はこうした施策の「全体像」の説明があまりに足りなさすぎると感じています。

経済対策の内訳などを見ると、現政権はとにかく「企業を潰さないこと」「雇用を維持すること」に最大の重点を置いており、それらは個人への現金給付よりもかなり優先順位が高いことが伺えます。

私は、いろいろ政府に対して思うことはあっても、この方向性自体は間違っていないと思います。というのも、企業を守ることはそこで働くたくさんの人を守ることであり、なおかつコロナ終息後の景気回復の大きな原動力になるからです。

現金給付の件で随分と揉めている間でも、雇用調整助成金に関しては割とすんなりと決まりました。雇用調整助成金は、従業員の雇用を守るためにかかるお金(従業員への休業補償など)を政府が肩代わりするという趣旨の助成金です。

個人への現金給付は、あくまで1回限りの一時金です。1ヶ月分の手取りにも満たない金額では、無いよりはマシかもしれませんが対処療法でしかなく、国民生活の経済的な安定に対しては、限定的な効果しか期待できません。

ただ、企業が雇用を維持するためになんとか踏ん張っている最中、そうした企業一社に集中的に助成金を出すことで、何十、何百という人の雇用を守ることになります。倒産件数と失業者を最小限に留めるということは、個人個人にお金を配るよりも少ない予算でより多くの人を救うことになります。

何より、ここで会社が倒産してしまえば大量の失業者が発生しますが、会社がなんとか雇用を維持した上でコロナウイルスも終息を迎えられれば、本来であれば失業していたかもしれない人たちもまた元通りの仕事をして、元通りの安定した収入を毎月得られることになります。

「現金給付はもらえたけど失業してしまった」ということになれば本末転倒です。むしろ、私は、現金給付は「救済措置」としてではなく、「景気刺激策」として行われるべきだと考えています。

つまり、コロナウイルスが終息フェーズに入った際の消費喚起のタイミングで現金給付を行うのが最も効果的だと考えます。

リーマンショックと今回の不況との違い

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よく、今回の不況をリーマンショックと比較する解説や記事を目にします。ただ、リーマンショックの際の景気後退と今回の景気後退とではかなり性質が違います。

まずはリーマンショックとは何だったのか?ということから振り返って行きたいと思います。

リーマンショックとは何だったのか?

リーマンショックはもともと、アメリカのサブプライムローンの融資の焦げ付きに端を発する金融危機でした。

簡単に解説すると、アメリカの銀行はもともと「プライムローン」という住宅ローンを貸し付けていました。Primeとは、第一級とか、一等みたいな意味です。それに対して”サブ”プライムローンですから、ニュアンス的には第二級、二等みたいな意味でしょうか。

プライムローンは、毎月安定した収入がある人や、頭金をたくさん出せる人、つまり社会的信用が比較的高い人たちが組める住宅ローンです。それに対してサブプライムローンは、プライムローンを組めない人たち、つまり、少しだけ社会的な信用が劣る人たちのために用意された住宅ローンです。

ローンの金利というのは、基本的にその人の信用力に左右されます。つまり、サブプライムローンを借りる人は、プライムローンを借りる人よりも高い金利を支払うことになります。
リーマンショック当時はサブプライムローンのことを「低所得者向け高金利型ローン」と解説していたテレビ局が多かったのはこのためです。

ただ、お察しの通りサブプライムローンは、返せなくなる人が続出しました。もともとの制度設計が随分と甘い金融商品だったのです。

ここまでなら、アメリカの銀行が大損を被れば済むだけの話でした。厄介なのはここからです。

アメリカの金融業界には「リスクの発生するものは債権化して転売する」という商習慣があります。つまり、アメリカの銀行はサブプライムローンの債権を早々に転売してしまっていました。

その債権をリーマンブラザーズのような投資銀行や証券会社が大量に買い取り、今度はそれらの会社が投資信託などの金融商品にサブプライムローンの債権を組み込むなどして、更に世界中の企業や銀行に金融商品として転売してしまっていたのです。

このように、アメリカの銀行が生み出したサブプライムローンの債権は世界中に分散してしまった状況で、もうサブプライムローンの債権の影響範囲はどこまでなのか、誰も正確に把握できていない状況だったそうです。

そんな状況下でローンを返せなくなり破産を余儀なくされる人が続出。加えて、このサブプライムローンの債権を多く買い取っていた大手投資銀行の一つ、リーマンブラザーズが倒産したことをきっかけに、金融市場は大混乱に陥り、不安が不安を呼び世界同時株安へと突入して行きました。

リーマンショックは、とどのつまりこうした行き過ぎたマネーゲームの末に、実体経済とはかけ離れつつあった金融市場が引き起こした不況であり、金融秩序、もとい行き過ぎた資本主義経済の欠陥が露呈する出来事でした。

翻って、今回の不況は…

対して、今回の不況はあくまで流行性の「疫病」によるものです。
「命に関わることなのだから、リーマンショックよりこっちの方が深刻だ!」という意見も耳にしますが、私はそこまで悲観的になる必要はないと考えます。

リーマンショックの時のように、金融市場の崩壊や資本主義経済の欠陥によって引き起こされた不況ではありません。疫病の感染拡大を防ぐためにヒト・モノ・カネの動きが一時的に停止されたために起きた不況、という、リーマンショックの際よりもずっと明確でわかりやすい理由による不況です。

つまり、感染が終息し、ヒト・モノ・カネの動きが再開すれば概ね「元通りの社会」になる不況という点が、リーマンショックとは大きく異なる点だと言えます。

また、長い人類の歴史を見ても流行性の疫病には必ず終わりがあります。ですので、実は終息のフェーズに何をするか?ということも、今回のケースでは非常に大切になると考えています。

企業と雇用を守ることが大切な理由がここにつながる

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私は先に、現政権は企業や雇用を守ることを最優先に考えており、そうした方向性には概ね賛成だ、と申し上げました。

ここまで解説してきたことが、まさにそこに繋がって行きます。

今回の不況はあくまで、「一時的に」ヒト・モノ・カネの流通が停止していることによるものです。つまり、今不況に苦しむ企業は、時代や価値観、経済構造の変化によって不必要になった企業というわけではなく、本当に一時的な資金繰りの悪化によって苦しんでいる、ということになります。

その中には、素晴らしい技術を持った企業、優れた経営ノウハウを持った企業、熟練した人材をたくさん抱える企業などがたくさんあります。

このコロナウイルスが終息する時、それらの企業が一掃されてしまっていたらどうなるでしょうか。

世界的な需要が一気に戻ったのに、ある部品を作る会社は既に倒産してしまっていて部品の調達が難しく、すぐに生産を再開できず、その間に他国のライバル社に抜かれる、という状況も起きるでしょう。

他にも、熟練した優秀な人材が失業者として市場にあふれており、1人1人では優秀な人材であっても、そうした人たちをまとめて生産性を最大化するための組織(=会社)が再び立ち上がるには長い年月を要します。

こうした事例に限らず、本来は役目を終えたわけではない企業が、一時的な理由だけで大量に倒産するというのは、世界経済が復活した際に日本経済の機動力が不足する事態となり、それだけ立ち直りが遅くなることを意味します。更に言えばそれは、「コロナ後の世界」における日本の世界の中でのプレゼンスに関わって来る問題です。

ですので、今回の不況に関して言えば、まずは企業と雇用を守る、という方向性自体は正しいと思っています。

ただ、現金給付ももちろん大事です。特に現金は、雇用に不安がある際に給付しても貯蓄に回る可能性が高まりますが、ある程度の終息期であれば、これまでレジャーや買い物を我慢してきた人々の消費意欲を後押しする効果も期待でき、大変大きな効果が見込めると思います。

とにかく私が思うのは、政府による「全体像」の説明がものすごく足りない、ということです。大所高所に立った話は国民にしても理解できっこないと思っているのか、そもそも財務省に言いくるめられているのかはわかりません。

雇用や企業を守ることの重要性について、もっと政府や与党の政治家の皆さんは自分の言葉で説明すべきかと思います。そうでないと、現金給付を渋っている、ケチという印象しか残らず、国民はフラストレーションが溜まる一方です。

私も、なんとか今の政策が功を奏することを一国民として、働く社会人の一人として心から願っています。また、この自粛期間中もできるだけ暗くならずに過ごす工夫も、引き続きしていきたいと思います。

最後にはなりましたが、私は今後も、この国が自由で豊かで平和な毎日を送れる国であって欲しいと心から願っています。そのために一人ひとりができることは、感染を防止することはもちろんですが、自粛続きでストレスが溜まりやすい状況下で負の感情に飲み込まれないようにすることではないかと思います。

SNS疲れのようなことを前回のエントリで書きましたが、その一方でSNSの投稿やライブを通して少しでもこの自粛ムードを楽しく乗り切ろうという様々な取り組みも目にしました。

それらの取り組みは積極的な意志を持ってやっている方もいれば、自然発生的に行われているものまで様々ですが、いずれにせよ、楽しい時間と空間がネット上に同時多発的に発生していることは事実で、SNSやネット言論における負の側面ばかりが目立っていた最近にあって、こうしたプラスの側面をたくさん発見できただけでも大変心強いことです。

私はゲイに人気のGOGOBOYの皆さんや、若いカワイイモデルの子みたいに、ライブ配信や写真投稿をしただけで何百、何千という人を明るい気持ちにできるほどの力は持っていません。

ただ、私は私の得意なこと、持っている能力を使って、批判や怒り、憎悪などを目にするのに疲れてしまった人の脳裏に、少しでも灯りを灯せたならば嬉しいと思い、筆を執ってみました。

このエントリが、誰かのひらめきやヒントになることを願いたいと思います。

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