コロナよりも恐ろしい相互監視社会の狂乱―「新しい生活様式」を悪夢にしないためには

どうも、英司です。
少し久々の更新になってしまいましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

来る日も来る日もコロナ関連のニュースばかりで、例年どおりに行かないことも多い2020年の夏。それなりに対策を取り、気を配りつつも夏らしいこともしたりしている最近です。

ただ、正直けっこうストレスも溜まってきているのも事実で、世相に関しても確実に嫌な方向に進んでいるなとも感じています。

今回は、2020年夏の「空気感」を保存しておく意味も込めてエントリを書きたいと思います。

日本人が今、コロナよりも恐れていること

今朝、共同通信社が興味深い記事を出していました。

マスクは「皆が着けているから」 日本人、「感染防止」関係なし

以下引用

新型コロナウイルスの感染が拡大する中、日本人がマスクを着ける動機は、感染が怖いからでも他の人を守るためでもなく「みんなが着けているから」。同志社大の中谷内一也教授(社会心理学)らのチームが11日までに、インターネットで行ったアンケートから、こんな結果をまとめた。

チームは感染者の増加が続いた3月下旬、年齢や居住地などの構成が日本の縮図となるよう千人を選び、マスク着用の理由や頻度を尋ねた。

「感染すると症状が深刻になる」などの理由と着用頻度との結び付きの強さを解析すると、断トツは「人が着けているから」。「他人の感染防止」はほぼ関係なかった。

共同通信

私も日本で生まれて教育を受け、日本に住み、日本で働く日本人ですし、あまり自分の国のことを悪く言うのは本望ではないのですが、いかにも今の日本の空気感を表現している調査結果だなと思いました。

何度かこちらのブログでも、いわゆる自粛警察と呼ばれる人たちについて取り上げたことがありましたが、時間が経過するにつれてこの手の話はどんどんと悪化していると感じています。

そしてついに今、地獄のような相互監視社会への門が開かれようとしているのではないでしょうか。

感染拡大防止よりも、「懲罰」的な色合いを見せてきた営業自粛

ある友人が通っているスポーツジムで、残念ながら新型コロナウイルスの感染が発生してしまったそうです。それに伴い、しばらくの間ジムが営業を停止することになったそうで、友人は「これでまた太っちゃうよ~」なんて嘆いていたのですが、私はこの話、少し引っかかりました。

私もフィットネスジムには通っており、4月の緊急事態宣言前からジムは批判の対象になっていたことから、現在もかなり慎重に運営されています。入場するとすぐに検温があり、マシンの間隔も空いていて、あちらこちらにアルコールスプレーだらけ。お客さんもトレーナーさんもみんなマスクをしています。

それでも新型コロナウイルスの感染者が出てしまう可能性はゼロではありませんし、出てしまったものは仕方ありません。感染が疑われる人は速やかにPCR検査を受けるべきでしょう。

しかし、「しばらくの営業停止」という措置は本当に適切なのか、私は疑問に思います。上記のように感染の可能性がある人に対して直ちに検査を行う等の措置を取り、「科学的に」感染拡大のリスクを潰すことができれば営業を続けても良いのではないでしょうか。ましてや、最近のフィットネスジムは入退出も厳格に管理されていて、会員一人ひとりの入退出日時はすべて記録されています。システム上、感染者と同じ日時にジムを利用していた人は安易に特定することができるはずで、該当する人に個別に事情を説明し、検査を受けてもらう等の対応は可能です。

営業停止にすれば、会員への払い戻しが発生し、ただでさえ経営状態が激しく悪化しているフィットネスジムはさらなるダメージを受けることになります。

こうした現象は飲食店や商業施設等でも起きていることです。感染拡大のリスク対策の検証などとは無関係に「営業自粛という選択をせざるを得ない社会的空気」によって、一種の「懲罰」として営業自粛を余儀なくされている事業者が増加することは、新たな問題を孕んでいると考えています。

鬱憤晴らしに使われる新型コロナウイルス

「○○でクラスターが発生」とか「東京都で今日は○○人が新規感染」とか、毎日毎日そんなニュースばかりです。そして、これらのインターネットニュースのコメント欄に目をやると「そら見ろ」と言わんばかりに、感染者や事業者、自治体や国を罵倒するようなコメントで溢れかえっています。

もちろん、それを書いている人の表情まではわかりませんし、本当に心から社会の行末を案じている人もいるでしょう。ところが文章から判断するに、どうもこうした状況下において、言い返して来られない相手を見つけたことを内心では喜悦し、思い切り日頃の鬱憤を晴らす目的で罵倒して回っている人も少なくないように見受けられます。

もはやその事業者が日頃からどれくらい感染対策を行っていたかという点などどうでも良く、感染者やそれに関わった事業者を言わば「絶対悪」として抹消することに生きがいを見出してしまっている人を大量に生み出してしまっているのが、昨今の世相だと感じています。

「あっちの店とあっちの店は自粛してるのに、どうしてアイツのところは自粛していないの?」などというセリフもたくさん耳にします。業種・客層・立地・面積など、事業者が事業を行う上では幾重にも個別の事情が重なり合っているもので、熟慮した結果判断が分かれるのは当然のことです。

十分な経済的な補償がない中で営業自粛を決めるのも英断です。

ただ、対策を講じて営業していても見知らぬ人から罵倒されてしまうようなご時世に、もしも感染者が出た場合、袋叩きに遭いかねない今の状況下で感染対策を徹底しながら営業を続けるという判断もまた、英断です。

(もちろん、ほぼ何も対策を打っていなかった上でクラスターを発生させたという一部の事例は論外ですが)

批判を恐れずに意訳すれば、要するに「けしからん!」という”お気持ち表明”にそれらしい理由付けを行っているだけのように見える主張が散見されるのは本当に残念なことであり、その手の主張をこれ以上まともに聞いていたら、経済や社会がもう限界に達してしまうのではないかと心配になっています。

「このウイルスは撲滅できない」と宣言する勇気を

最近では「With コロナ」なんて言われていて、新型コロナウイルスとは共存していかなければならないということを、それとなく匂わせるキャンペーンが張られています。

しかし私はそれでは不十分と考えています。

一つの「事実」として、下記の数値をご紹介します。

出典:毎日新聞

7月に入ってから、特に大都市を中心に新規感染数が高止まりしている状況には変わりありませんが、重症患者数が急激に減少していることがわかります。

まだハッキリした原因は解明されていませんが、一説によると、4月~5月に流行した際とはウイルスが変容した可能性も考えられるとのことです。この辺りの分析や研究は急がれることは間違いありませんが、重篤化する人が減っている→従って前回よりも医療機関にも余裕があるというのも統計データに裏付けられた「事実」であり、重症化のリスクと医療崩壊の可能性が低いのであれば、インフルエンザや結核と同様に、もうこのウイルスとの共存の道筋を探っていく段階に入っているのではないでしょうか。

そういう背景があっての「With コロナ」というスローガンなわけですが、とてもわかりづらい。

しかも、政府も自治体も役人も、こうしたソフトな表現に抑えつつ、一方ではあくまで「新型コロナウイルスは撲滅できる」という前提や根拠があるかのような振る舞いをしています。こうしたハッキリしない態度が、いわゆる自粛警察と呼ばれる方々の言動の過激化に拍車をかけているのではないでしょうか。

もちろん、政府や自治体、公務員の方々が高い目標を持って頑張っていることは否定しませんし、むしろ心強いことでさえあります。

ただ一方で、生きるために現実的なレベルで日銭を稼がなくてはならない人、従業員やお客さんのためになんとしても会社を潰すことなどできない経営者、もう自粛のストレスで限界に達してきている消費者…敢えて最もキツイ表現をするとするなら、すでに重症化の可能性が低いコロナウイルスと引き換えに、こうした納税者・現役世代を「殺す」可能性があるのが不況や日本経済の衰退です。

ですので、Withコロナなんてわかりづらいスローガンではなく、ここはもうハッキリと「新型コロナウイルスは撲滅不可能」ということを明言した上で、「共存宣言」を出し、この異様な相互監視の状況を終わらせて行かないと本当に経済も社会も持たないと思います。

「相互監視」は日本のお国柄?

山本七平さんという方の著書で「『空気』の研究」という名著があります。
この本の内容を最も端的に表したまえがきの一部を以下に引用します。

以前から私は、この「空気」という言葉が少々気にはなっていた。そして気になり出すと、この言葉は一つの〝絶対の権威〟の如くに至る所に顔を出して、驚くべき力を振っているのに気づく。(中略)至る所で人びとは、何かの最終的決定者は「人ではなく空気」である、と言っている

山本七平 「空気」の研究

この本は1983年に出版された書籍であるにもかかわらず、まったく「古さ」がありません。それだけ日本社会の本質を言い当てた内容であったということでしょう。

日本には戦時中、特高警察という組織がありました。この特高警察は事実上の思想警察だったと言われており、政府に批判的な言動をしている人を取り締まる目的で組織されていたそうです。

映画やドラマの中ではこの特高警察は、常に街で目を光らせている怖い存在のように見えますが、実際の記録ではこの特高警察には日々莫大な数の「密告」が寄せられており、その対応だけでパンク寸前の忙しさだったそう。

もちろん「隣組」の制度などによって相互監視社会になるように国が仕向けた影響が大きいのだと思いますが、もっと本質的なレベルでこうした「空気を読むこと」、もっと踏み込んで言えば「空気を読まざるを得ない状況に逆らうことができないこと」は、この国の歴史の中で何度も繰り返されて来たのかもしれません。

第二次大戦中を生きた人は言います。
「竹槍じゃあB29 を落とせるわけがないなんて、どんなバカでもわかっていた。だけど『竹槍じゃあB29を落とせるわけがありませんよ』なんて、そんなことが言える空気じゃなかった」と。

つまり、行き過ぎた相互監視社会、空気の読み過ぎにロクな結末は待っていないということです。

敗戦も、原発事故も、最近の出来事で言えば築地市場から豊洲市場への移転問題での莫大な額の損失も、すべては「科学」や「客観的事実」を無視または軽視し、「空気」や「風評」を真に受けた結果、失わなくて良かった命、失わなくて良かった土地、失わなくて良かったお金を喪失してまったという点では共通しています。

もう同じ失敗をしてはいけないと思います。
今こそ「科学的知見」「客観的事実」を根拠とした政策への転換を行い、ポリティカル・コレクトネスが重視される今の日本では難しいかもしれませんが、ここは思い切って撲滅は不可能であることや、共存する道筋を示す時が来ているのではないでしょうか。

私が思う「新しい生活様式」

最近「新しい生活様式」というスローガンを頻繁に耳にしますが、この「新しい生活様式」が悪夢のような相互監視社会のことを指しているとは思いませんし、思いたくもありません。

私はコロナ禍以降、時差出勤やテレワークの活用によって、22歳のときから「当たり前」だと思っていた満員電車の通勤地獄がなくなりました。

共働きの友人や同僚も多いのですが、首都圏では保育園に入れるかどうかが職場復帰できるかどうかの生命線になってしまっている現状があります。

しかし、夫婦ともどもテレワークを活用できる家ならば、保育園は必ずしも週5日である必要がなくなり、週2日や3日で良いという家庭が増えれば、保育園のキャパシティにも余裕が出てきます。これにより待機児童問題も解消へ向かうかもしれませんし、少子化のブレーキになるかもしれません。

会社へ行くのが週1日や2週間に1度で良くなれば、都心に近いところに家を構える必要もなくなります。東京の一極集中は確かに活気という面で良いところもありましたが、防災や地価の最適化という側面から見ると危うさを抱えていたのも事実です。

他にも、インターネットでの買い物によりリアリティさを持たせるために、VRによる商品の閲覧や多言語対応のリモート接客、またそれらの技術を実現するためのインフラとなる5G回線の整備がコロナ前よりも加速されるなど、コロナ禍をきっかけに利便性の向上や経済成長を見込める分野の育成を行うこと、これこそが「新しい生活様式」なのではないでしょうか。

どうかこの「新しい生活様式」が、これまで当たり前と思っていて変えられなかったこと、そもそも変えようなんて発想すらなかったことを、次々と改善していけるチャンスになればいいなと思います。