何段階もおかしい「LGBTが増えると少子化が進む」説-いい加減、この段違い議論を終わらせませんか?

セクシュアリティ
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どうも、すっかり久々の更新になってしまいましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。今回は、久々に少し気になったLGBTに関するニュースネタを扱いたいと思います。

もうおなじみの「LGBTが増えると少子化が進む」論

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先日、ある地方議会の議員がまたこの手の発言をしたようです。

※すでに当該の議員は公式に謝罪をしており、いつまでも謝罪済の個人の過去の発言を指摘するのはこのブログの趣旨にも反しますので、その方のお名前や所属する自治体はこちらでは伏せさせていただきます。

その議員の方の発言の趣旨は下記の通りです。

  1. もしL(レスビアン)やG(ゲイ)だけになったら、うちの自治体の住民がいなくなってしまう(LやGは子供を生まないことを想定したものと思われる)
  2. L(レズビアン)やG(ゲイ)が法律で守られたらうちの自治体は滅んでしまう

今回は、上記2点に対して、男性同性愛者当事者である私なりの見解と解説をしていこうと思います。

私自身、当該の議員さんに対して強い怒りや憤り等は特に感じません。ましてや私はその自治体の住民でもありませんし、好きに主張すれば良いと思います。

ただ、誤った認識に基づく主張を公職にある人が公の場で発信するのは、やはりマズイのでは?というのが私の考えです。

ですので、この手の方がされているよくある誤解について解説していこうと思い、今回はブログを更新しました。

LGBTが増えるとか減るとかいう感覚について

冒頭にご紹介した議員の発言の、1と2を改めて見ていきたいと思います。

1、もしL(レズビアン)やG(ゲイ)だけになったら、うちの自治体の住民がいなくなってしまう

2、L(レズビアン)やG(ゲイ)が法律で守られたらうちの自治体は滅んでしまう

ネット上でよく見られた意見として、1の発言を引用して「本当のことじゃないか。だから当該議員は一切なにも悪くない」とする声が見られました。一方それに対して、とにかくそんな発言は全部ウソ。一切そんな発言は認めない!という反対意見が叫ばれる、という展開があちこちで起こっていたように思います。

では事実ベースで見ていくとどうかと言うと、確かに1は事実と言えば事実です。(養子をもらう等のケースは別として)男女で1対として備わった生殖機能がないわけですから、それはもう仕方のないことです。

ただ、住民が全員LGBTになってしまうということが実際に起き得る話なのか?と言えば、それは起きるわけがない話なので、そのようなたとえ話にマトモに付き合う必要はない、というのが私の考えです。

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当該の議員さんにも見られましたが、この手の発言をする人には典型的な事実誤認があります。

その事実誤認の鍵を握るのが2の発言です。

2、L(レズビアン)やG(ゲイ)が法律で守られたらうちの自治体は滅んでしまう

とありますが、この発言の裏には、LやGが法律で守られたら【LやGが増えるので】うちの自治体は滅んでしまう、という、【】で囲われた部分が隠れています。つまり、LGBTの問題と少子化の問題を結びつけようとする人の多くが、このような理屈で批判を繰り広げています。

LGBTは増えも減りもしないが…

この、「LGBTに親和的な施策を行うとLGBTが増える説」については、ただただ一言「バカげている」としか言いようがありません。

実際のLGBTの割合というのは、人種や地域、時代に関わらずどのような社会にも一定数存在していると言われており、それが状況によって大きく増える、減るということはありえません。

ただし、その社会に占めるLGBTの総数は一定であっても、「カミングアウトしている人の割合」については、その社会の宗教や価値観、お国柄や国民性などによって大きく違いが出ます

ですので、カミングアウトする人が増えていくと、異性愛者の視点で見てみると確かに増えているように見えるわけです。

ですので、例えば同性婚が認められると、これまで結婚という選択肢そのものが存在しなかった同性愛者たちが新たに結婚という選択をすることで一気に可視化が進み、確かに同性愛者が突如増えたように見えると思います。

ただ、その人たちも同性婚が認められる以前は、単身者として生涯をまっとうするか、行政上は単身者であるが連れ添ったパートナーと同棲し事実上家族のように過ごしているか、養子縁組や公正証書の作成により結婚と同等の権利を得るなどの自衛策を取って来たかであり、これらすべての人達は現在も戸籍上・行政手続き上は単なる「独身」としてカウントされています。

同性婚等の法的保障ができた際、この単なる「独身」扱いだった人たちがパートナーと正式に婚姻関係を結ぶことで同性愛者として可視化されるだけのことであって、「異性愛者の人が突然同性愛者になる」ということは起きるわけがありません(そんなことになったら私もビックリです)。

以上のことから、LGBTの権利の話と少子化の話はまったく無関係です。むしろ、保育園の不足や保育士の待遇の低さ等をずっと放置してきた政治家の方々が突如LGBTがどうこう、と言い出すのはあまりにナンセンスではないでしょうか。

LGBTを軸としたインターネット上の「代理戦争」

インターネットを見ていると、当該議員を100%否定する人と、100%擁護する人で、思想の左右を分けたさながら代理戦争の様相を呈していました。

セクシュアリティという、本来なら出自や門地に関わるような基本属性の問題に特定の党派性を持たせた主張をお馴染みの面々がしていたり、かと思えばどう贔屓目に見てもかなり苦しい論理で当該議員を100%擁護する保守派の人がいたりと、相変わらずインターネット言論というものの治安の悪さ()を思い知った次第です(苦笑)

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対立を煽るのではなく、理解を広げるチャンスに変えようという試み

先に「代理戦争」と書きましたが、次第に本件に関しては、上記のような事実誤認の指摘ではなく当該議員への断罪や糾弾の方向へ仕向ける人たちの声と、無批判に当該議員を擁護する声の双方がどんどんと大きくなり、党派性を帯びた政治運動と化するのに時間はかかりませんでした。

私はその時点ですでにウンザリさせられてしまい、この件に触れるのは辞めようと思っていたのですが、先日ある地方議員の方のインタビュー記事を発見しました。

その地方議員の方は中野区で区議会議員として活動されている石坂わたるさんという方で、彼自身も男性同性愛者であることをオープンにして活動をされています。インタビュー記事は下記です。

「知れば、理解者に変われる」足立区議の謝罪、ゲイの中野区議はどう見たか?

以下一部引用

「人は変われる。いつからでも、何度でも」

2011年に初当選した当時、中野区議会には「中野でLGBTが増えているが、いかがなものか」という発言をしていた議員がいた。石坂さんは敢えて自分から積極的に関わるようにしたという。

食堂で「一緒にいいですか?」と相席を申し込んだり、「(議会の)この提案について「どう思いますか?」と話しかけたり。

「一緒に仕事をしていく中で、『勉強熱心だね』というところを認めてくれて、だんだんと会話が増えていきました」

2013年に音喜多駿参院議員(当時は都議会議員選挙中)が同性愛を中傷した過去の文章が炎上した際にも、本人に会いに行った。

以上引用

私は現参議院議員の音喜多議員の上記の炎上事件も覚えていますし、その後音喜多議員は一転、LGBTに対して協力的な議員になったことも知っています。

当時音喜多議員が炎上した際も、断罪やバッシングの声が渦巻く中、石坂さんはその炎上発言自体が音喜多議員の事実誤認や無知によって起きたことであると見抜いて、むしろ糾弾ではなくコミュニケーションを取りに行ったという冷静さは、純粋に評価されるべきだと思いました。音喜多議員の変化の裏に、まさかこんなエピソードがあったとは私も知りませんでした。

最後に残るのは絶対に、草の根の交流

LGBTを取り巻く問題に特定の党派性を持たせた上で、政治的思想の左右両陣営による代理戦争化させることは、確かに盛り上がるでしょう。社会的な注目を浴びるきっかけにもなるかもしれません。

ただ、何度も言いますがセクシュアリティというのは出自や門地などと同じ自分の力で変更することが不可能な基本属性の問題であって、こうした問題に特定の党派性を帯びた政治運動が入り込むのは、あまり適切でないというのが私がずっと主張してきたことです。

私は比較的オープンなゲイですが、ゲイであることは私の基本属性の一部でしかありません。大学時代も会社員として暮らす今も、まず私という人間を周囲の人に知ってもらった上で、カミングアウトするか否かはその後に選択して来ました。

「私はゲイだ、マイノリティだ!だから認めろ!」ではなく、周囲からも認められ、受け入れられている私という人間がゲイだった、という順番であれば、あからさまに拒絶されることなどほとんどありませんでした。石坂さんの「まずは本分である政策の話を通して仲良くなる」という戦略は、とても良いと思います。

当該の議員さんも、長く生きてきた中で例え1回でもそのようなエピソードがあれば、少しは価値観が変わっていて、このような発言はしていなかったかもしれません。

LGBTが本当に暮らしやすい社会を作るというのは、誰か特定の権力者を倒すことや、特定の政党を攻撃することで達成されるものだとは思いません。
今回のような事実誤認に対しては都度わかりやすく指摘していくなど、一見すると地味な行動が今後もたくさん必要だと思います。

ただ、このような活動で築かれる土台、足腰というのはものすごく強いです。そのような知性や冷静さを軸にした、良識的な草の根交流の輪が広がることを願っています。

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