あるミレニアル世代ゲイが過ごした、安倍総理がいた世界――「虫の目」で見る安倍さんの功績

社会
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どうも、英司です。毎度この入りで申し訳ないのですが、更新が滞っており申し訳ありませんでした。前の記事の更新が今年の年始とは、「超不定期更新」を標榜している本ブログであってもさすがに不定期過ぎるペースで本当にすみません。

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去る2022年9月27日に安倍元総理の国葬儀が執り行われました。
私のこのブログの名前が「陽のあたる場所へ―あるミレニアル世代ゲイの随想録」とあるように、ミレニアル世代の視点から社会や政治経済のこと、LGBTのことなどを綴って来ました。

ミレニアル世代とは、21世紀を迎えた2001年以降に成人を迎えた世代で、1980年代~1990年代前半生まれの世代の総称です。私は1985年の2月生まれですので、まさにこのミレニアル世代に当たります。

ミレニアル世代にとって安倍首相がいた日本というのは良くも悪くも強いインパクトを持った期間であったことは間違いありません。だからこそ今回は、安倍総理という方がミレニアル世代の一人である私の人生にどのように影響したかについて書き残して置こうと思います。

安倍さんの功績については賛否あり、経済、外交、安全保障などの総論的な分析や評価は専門家の方にお任せします。今回は2022年現在37歳の私という人間の視点から、つまり「鳥の目」ではなく「虫の目」から見た、安倍総理のいた日本について解説していきたいと思います。

「若い世代ほど安倍さん支持」の裏にあったものとは?

世代論というものを「根拠がない」と否定する方がおりますが、私は世代論には一定の根拠があると思っています。

同時代の景気動向、発生した事件や災害、流行したカルチャーなど、強弱の差はあれこれら共通の情報に同時期に触れることになる「同年代」という集団には、ある程度の共通項や、物事の考え方や解釈の法則性のようなものはあるのではないかと思います。

安倍元総理は主に20代~30代に人気があり、60代以上からは非常に不人気な政治家だったというのが、様々な世論調査で判明しています。SNSなどを見ていると、ご年配世代の方がこうした現象に対して「若者の右傾化」と結論付けていたり、「若いモンは勉強が足りん!」とご立腹されていたりするシーンをよく見かけました。

しかし、現在37歳のミレニアル世代当事者の私の感覚からすると、これは右とか左とかの問題ではなく、今の20代~30代の世代は自分なりに自身の育ってきた環境、見てきた「日本」という国の形とその変遷をよく考えた結果安倍さんを支持していたのではないかと考えています。

マスコミの恣意的な切り取り報道が槍玉に挙げられて久しいですが、物事は何でも「どこからどこまでを切り取るか」で印象が180度変わるものです。これは「日本」という国に対するイメージや政治に対する評価も一緒だと思います。

人ひとりが生きている一生の中で、その始点(=覚えている範囲での最も昔)と終点(現在)とを比べて、始点よりも終点の方が良い世の中だと感じられる人にとっては、今の政治に対して強い不満や怒りは起きづらいと思います。

同年代や同世代というのは、この始点と終点の時間軸がだいたい一致します。ですので、それがそのまま政治への評価に現れても何ら不思議ではありません。

次章からはn=1の話で申し訳ないのですが、ミレニアル世代の一人である私が見てきた日本という国の形やその変遷、そこに安倍さんという方はどう影響してきたかについて解説していきます。

大不況、自然災害、凶悪事件…「陰鬱で退廃的な日本」こそ私達の日常であり青春であった

私が物心がついた思春期から青春時代まで全ての時期を通して日本は大変な不況に見舞われていました。バブル崩壊が決定的となった1991年は小学1年生で正直記憶はあまりありません。

記憶がしっかりしているのは小学校高学年や中学生になってからです。なので私にとっての「始点」はまさにこの頃で、その時はもう1990年代の後半。日本経済はどん底の暗黒時代で、社会も物騒になっていた頃です。

1995年、阪神淡路大震災が発生し、その2ヶ月後には地下鉄サリン事件が起きました。この年は連日オウム真理教に関する報道が加熱しており、テレビで中継中にオウム真理教の幹部が殺傷されるというショッキングな映像が全国のお茶の間に流れるという衝撃的な事件もありました。本当に世紀末という雰囲気で、今までの常識が通用しないような事件が多発していました。

中学に上がっても、同年代の中学生が神戸連続児童殺傷事件のような日本の犯罪史上に残る恐ろしい事件を起こしている中、同じ年に三洋証券、拓殖銀行、山一證券が倒産。
翌年以降も長銀やそごう、千代田生命など、昭和の日本経済の発展を支えてきた大企業が一瞬にして瓦解する姿をずっと見てきました。また、都内で会社員をやっていた父も当時は50歳くらいで、「年金支給までまだかなり時間があるのにリストラされたらどうしよう」と言ったことを両親ともども口にしていましたし、それが冗談ではなくかなり「リアル」で現実的な心配事だったことを幼いながら肌で感じていました。

高校に入学した当初は卒業したら就職をしようと思っていたのですが、私が高校を卒業する予定だった2003年の有効求人倍率は0.64(2022年現在は1.29)、完全失業率は5.3%(同2.6%)。コロナ禍からの経済の再生が先進国の中でも遅れ気味と言われる2022年現在の日本と比べても、信じられないくらいの不景気だったことがわかります。

親の世代は「不景気だ」「デフレだ」とよく口にしていたのは覚えていますが、1990年代の後半以降の記憶しかない我々世代にとっては、正直なところ「不景気なのが普通の状態」であり、「好景気を一度も味わったことがないため、今が不景気という感覚すらない」というのが率直な感想でした。

その後は大学へ進学し、高卒で働こうと思っていた当初の予定よりも4年遅れて就職をしたわけですが、その4年の間にいわゆる団塊世代の方々が定年退職を迎えたために一時期よりは就職がしやすくなっていました。しかしそれは人口動態の変化という自然発生的に起きる変化によるものであり、決して景気が良くなったから就職がしやすくなったわけではなく、本質的にはあのずっと大不況だった思春期や青春時代から、日本はあまり変わらない状況だったと思います。

自分の国に希望を持つなんて到底無理な世代

今思えば、物心ついてから青春時代を通してずっと不景気で、親も先生もマスコミも揃って「もう日本はダメだ」「あなた達はこれから、相当に厳しい社会を生きていくことになる」と言ったことを口にしていました。

安倍さんが最初に総理大臣になったのは2006年で、私が大学4年の頃でした。安倍さんは当初、「美しい国」というキャッチコピーを掲げ、教育基本法の改正に着手し憲法改正を訴えるなど、かなりイデオロギー色の強い政権でした。

※当時はまだ中国も今ほどの経済力や軍事力もなく、ロシアも日本には比較的友好的で、北朝鮮の核も今ほど精度が高くなく、国防や憲法の問題が今ほど喫緊の課題とは認識されていませんでした。そのため、憲法改正も「真剣に議論しなければならないこと」とは認識されておらず、「一部の偏ったイデオロギーの人たちだけが熱心な問題」とされていたきらいがありました。

私のように生涯を平成時代の退廃的なムードが漂う日本社会の空気にどっぷり浸かって来た人間が、突如「日本は美しい国だ」とか「愛国心が大切だ」などと言われても、日本が強かった時代、豊かで活気があった時代を知らない人間からすると空虚に感じるどころか、その凄まじいほどの「感覚のズレ」に強い嫌悪感と激しい怒りすら覚えたものです。

当時の私は、厳しい就職活動をようやく終え、来年から社会人にはなれるものの圧倒的に不安材料の方が多いような日本の経済状況において、自分の国に希望を持つなんて到底無理な話でした。こうした「感覚のズレ」は決して私一人が感じていたものではなかったようで、結果最初の安倍政権は約1年ほどで崩壊しました。

その後も短命政権が続き、そうこうしているうちにリーマンショックが発生。麻生政権と日銀の白川総裁は世界情勢を見誤り金融政策で大失敗を犯し、当初リーマンショックは日本にはさほど影響を及ぼさないだろうと言われていたにも関わらず実際には日本は世界で最も割を食ってしまった国の一つになり、私の世代にとっては中高生の時に味わった以上のとてつもない大不況を味わうことになりました。当然のことながら麻生政権はあっという間に支持率を急落させます。

こうした背景から自民党は政権を失い、民主党に政権が交代しました。ただし経済は何も変わらないどころかマニフェストの多くは実行されず、外交でも失敗を繰り返し日本の世界的なプレゼンスは低下。日米関係、日中関係、日露関係すべてが悪化するという最悪の事態に突入する中、2011年に東日本大震災が発生しました。

当時は情報が錯綜しており、「原発事故の処理を間違えれば、下手をすれば東京一帯も人が住めなくなるかも…」なんてことが俄に噂されるなど、戦争が起きたわけでもないのに日本という国の存亡まで危ぶまれるようなムードになっていきました。

これが私が26歳の時の話です(そしてこのブログを始めた年です)。

物心ついた時から26歳の青年になるに至るまで、政治が国民を助けてくれたことなど一度もなかったし、そもそも政治が何か国民のためになることをしてくれることなんて今後も絶対にありえないのだから、我々は政治には何も期待すべきではない、という考えさえ当時の私にはあったと思います。

政治家は「希望が持てる社会を」なんて言い回しが好きですが、20年以上もこんな惨状ばかり見せられてきて、心の底からバカバカしく思えたものです。

「あの安倍さんがまた総理やるの?冗談じゃないよ!」

ーーこれは民主党政権の末期に行われた自民党総裁選の結果の一報を聞いた時に私が感じた率直な感想です。

当時の私は政治に何を期待しても無駄だと思っていて、それであればせめて「これ以上悪くならない程度の仕事をしてくれる人ならいいな」くらいに考えていました。

ところが安倍さんは第一次政権時の顛末からどうもイデオロギー色の強い政策に熱心な印象があり、「おいおい、今は前に安倍さんが総理やってた2006年よりも日本は経済も外交もずっと弱体化してヤバイ状況だよ?こんな状況でまた『美しい国』とか『愛国心が大切』とか言い出したらまた短命政権に終わって日本は更に立場が悪くなるよ…」と、どうにも悪い予感しかしなかったのを覚えています。

ただし、それは杞憂に終わったことは言うまでもありません。
総理に再登板した安倍さんが最初に何を言い出すか、私も注目していました。

「憲法改正?」「愛国心教育?」
…そんなことは一言も言いませんでした。

そこで彼が掲げたのは

  • 大胆な金融緩和
  • 機動的な財政政策
  • 民間投資を喚起する成長戦略

この3つを三本の矢とした「日本再興戦略」――通称「アベノミクス」でした。

20年もの間、誤りを認められなかった日本政府

ここからは少し個人的な話からは逸れます。少し経済学っぽい話になりますが、我々が過ごしてきたあの「陰鬱で退廃的な日本」を理解するのに必要な章なのでお付き合いください。

バブル崩壊からの日本は、長きに渡り緊縮財政を基調とする内閣が20年ほど続いていました。もっと簡単に言うと、国家経済を「家計」と同じように考える政権ばかりだったとも言えるでしょう。

具体的にどういうことかと言うと、家計の発想では収入が減れば当然支出を減らします。
これと同じ発想で国家経済を運営するとどうなるか。

景気が悪くて税収が減ったから支出を減らそう=公共事業を止めよう。基礎研究などのお金のかかる投資はやめよう。企業への補助金や振興策は止めよう。社会福祉を減らそう。

確かにこの発想は家計の感覚であれば正しいかもしれませんが、国がこれをやれば企業が倒産し、優秀な研究者は外国へ流出し、年金などの福祉の信頼性が揺らげばお金を使わず銀行に預けて眠らせておく人が増えるでしょう。

特に、企業の数が減るというのは大問題です。企業が倒産するというのは、日本全体の生産力が落ちるということです。つまり、「経済が衰退する」、もっと言えば「国力が下がる」ということ。そして一度潰れてしまった会社は、再び経済が回復したからと言ってまたすぐに復活するわけではありません。新たな会社が生まれて、昔の会社が潰れる時の規模になるのにまた何十年とかかるのです。

こういう時に国家経済がやらなくてはならないのは「GDPギャップを埋めること」だったわけで、より簡単に言えば日本全体の生産力、つまり供給力に比べて国民全体の総需要が少ないのであれば、景気が回復するまでの間はそのギャップを国が財政出動で埋める政策をやらないといけなかったのです。

GDPギャップの概念図

GDPギャップの概念図(筆者作)
本来であればこのGDPギャップを埋めるために政府が公共事業や減税等で需要を喚起する必要があった

ここでよく「財源はどうするんだ」という話が出ますが、それは国債を発行すれば良いこと。国債は言ってみれば国の借金であるため「子どもたちの世代に借金を残すのか!」という議論をすぐにしたがる人がいますが、これこそまさに「国家経済を家計のように考える」ことの弊害です。

国のする借金は住宅ローンや車のローンとは違います。住宅ローンや車のローンは、少なくとも自分が死ぬまでの間に返さなくてはなりませんが、国家というのは永続的に運営されることが前提となっています。極端な話、今年発行した国債は償還と再発行を繰り返して100年後に返しても良いわけです。そして100年後の物価はどうなっているでしょうか?日本が大きな誤りもなく健全な経済成長をしていくと過程すると、貨幣価値はまったく変わっているはずです。例えば、今から100年前に当たる大正時代末期の大卒サラリーマンの初任給は50円程度です。100年後となる今年2022年の大卒初任給は約21万円。約4,200倍です。日本の場合その間に昭和の高度経済成長やオイルショックによる物価高騰もあったので、向こう100年はこれよりはインフレの速度は緩いと思われますが、それでも現在の貨幣価値とは比較にならないほどになっている可能性が非常に高い。なので、最も重要なのは不況時に適切な経済政策を取って需要を喚起して健全なインフレに誘導し、デフレを起こさせないことなのです。

それがなぜか、今年発行した国債は自分が死ぬまでの間に払わないといけないと思い込んでいる人がけっこう多い。これは、一時期テレビで流行った「国家の財政を家計に例えると」という言い回しが流布された弊害とも言えるでしょう。

このあたりのズレは、会社を経営されている方や株式投資をしている方は感覚的にわかると思います。会社も国家と同じく「いつか潰れること」を前提に運営はされていません。誰もが知っている超大手の上場会社でも運転資金を一定額借り入れている企業がほとんどです。「無借金経営」というのは一見良さそうなものですが、株式市場では自己資金にプラスで銀行に借り入れをして、大胆な設備投資を決断できる会社の方が評価されていたりします。

このように、国家や企業における「借金」と家計における「借金」はかなり意味合いが違います。にも関わらず、「国家経済を家計に例えると…」の言い回しが流行してしまったせいで、日本では下記のようなことが起きてしまいました。

実際に日本で行われたこと

総供給力を保つための政策は行わず、低迷した需要に供給力を合わせてしまった

上図のように、実際にバブル崩壊からの20年間の日本で行われたのは、供給力に需要を合わせる政策ではなく、低迷した需要に供給力を合わせる政策でした。

もっと平たく言うと今日より明日、明日より明後日…時間が進めば進むほど国の生産力や供給力、即ち国力や日本の国際的な地位が下がり続ける政策を20年間もやってしまったのです(私はこれを皮肉を込めて「セルフ経済制裁」と呼んでいます)。

社会全体が、明日が今日よりも良くなっているイメージはあまりよくできないのに、悪くなっているイメージだけはハッキリできる、といったムードが漂っていました。

「改革」の名のもと、今さえ痛みに耐えれば良い未来が待っていると政治家は口々に言ってきました。増税に継ぐ増税、削られ続ける公共事業や企業への振興策、サービスが低下し続ける社会福祉、加えて銀行からお金を借りづらくなった民間企業も激しいリストラと倒産の嵐…。

ただただ20年間も痛みに耐えて耐えて耐え続けてようやく訪れた未来が、自信を喪失し、経済力も国際的な発言力も低下し、若い人が希望を持てないような日本だったというまったく笑えない状況だったわけで、私たちミレニアル世代はまさにその20年間の「下り坂をすごい勢いで転げ落ち続ける日本」で育って来た、というわけです。

「日本は変わるっぽい」という期待感

日本の悪いところは、誰もが薄々間違えているとわかっていることでも、誰も「こんなのは間違っている!」と言い出せずにズルズルと前例を踏襲することです。第二次世界大戦末期、空気を乱すのが怖くて「竹槍でB29は突き刺せませんよ」と誰一人言い出せなかったという逸話がそれを象徴しています。

ただし日本の良いところは、ある日何かのきっかけで覚醒した瞬間に世界の人が驚くほどの速さで物事が変わるということです。
近現代の歴史で言えば開国から明治維新による無血革命、敗戦からの高度経済成長、最も最近で言えば先進国中最下位だった新型コロナワクチンの接種率が、ほんの数ヶ月で先進国中トップになったことなんかがそれに当たります。

安倍さんの掲げた日本再興戦略、いわゆるアベノミクスはバブル崩壊後の20年間の基調となっていた緊縮政策を大転換させるものでした。一つひとつの政策を言及していたらそれだけでブログのエントリーがいくつも書けてしまうのでかなりザックリ説明しますが、国家経済の戦略を総需要に合わせるのではなく総供給力に合わせ、そこで発生しているGDPギャップは政府が主導する財政出動(公共事業や企業への振興策など)と、民間企業の投資や需要を喚起することで埋め合わせるということです。

民間企業にただ「設備投資をしてください!」なんて言うだけでは今までと同じです。
なぜ20年間、企業は設備投資をしてこなかったのか?それは「銀行がお金を貸してくれないから」だったわけです。

そこで出てくるのが金融緩和政策で、これは各銀行が大量に持っていた日本国債を日銀が買い取ることで銀行に「現金」を持たせる政策です。銀行も商売です。利益を出さないといけません。現金を手元にもっていても何も生み出しません。じゃあどうするか。企業や個人に貸して金利で儲ける、もしくは株式に変えて利益を出すしかありません。

結果、銀行は企業への貸付に積極的になり、株式市場にも大量のお金が流れ込むことになりました。こうしてお金の流れを作り出すことで、政府の財政出動だけではなく民間企業の需要を喚起させることでGDPギャップを埋める戦略に打って出たのでした。

出典:株式会社第一生命経済研究所 https://www.dlri.co.jp/report/macro/162905.html

一番最初にこの変化に反応したのが株価でした。
銀行に現金が有り余ったために株式市場にお金が流出する。そこで株価が上昇基調になったのを確認すると、銀行以外の事業会社も内部留保として持っていた資産の一部を株式市場への投資にする…。このサイクルができて、株価は堅調な上昇基調へと入って行きました。

それまで長きに渡り株価は1万円前後を行き来していて、私の中でも日経平均というのは8,000円~1万円台前半をずっとウロウロしているという認識でした。

ところが、1万円、1万5千円台への大台にはあっという間に乗っていき、2万円台を維持するのが「普通」の状態になるのにそう時間はかかりませんでした。

株価の上昇のターニングポイントとは少し遅れて、就業者数も上昇に転換。2013年には株価とともに右肩上がりの基調に入ります。

出典:株式会社クイック https://ten-navi.com/hacks/article-280-25516

有効求人倍率も第二次安倍政権発足前の2011年は0.56倍だった数値が、年々目覚ましい回復を見せ、2017年にはバブル期を超える水準にまで回復しました。

出典:ガベージニュース 2022年3月11日 http://www.garbagenews.net/archives/2229177.html

一方で、完全失業率も急激に改善。特に目立つのが15歳から24歳の若者の失業率の劇的な改善です。2000年代前半は12%にまで迫る勢いだった若者の失業率は現在5%程度にまで改善。全年齢を合わせても2%台をキープしています。

このように、数々の経済指標で右肩上がりの数値を叩き出している様子は、あの「陰鬱で退廃的な日本」しか知らない私達の世代にとって初めて味わう光景です。
もう、衰退していくだけだと思っていた日本で株価、土地価、モノの値段がちゃんと上がっているし、今まで辛いだけだった就職・転職活動の様子もずいぶん変わって、仕事が選べるようになってきている。「よくわからないけど、日本は変わるっぽい」、そういう期待感が徐々に広がっていったのを覚えています。

景気の気は気分の気―行き過ぎた自己責任論との決別

こうした「右肩上がり」の社会は、当時30年近く生きてきて初めて味わう体験でした。私自身、転職をして条件の良い会社に移ることもでき、そういう意味でアベノミクスの直接的な恩恵を受けました。これが新卒の就活で何個か上の先輩がすごく苦労している姿を見ていた当時の学生さんであれば、もっとその恩恵を実感していたことでしょう(このあたりが、安倍さんが若い人たちに人気があった大きな理由の一つになっていると思います)。

私自身、学生の頃や20代前半の若い時期は少しネガティブというか、諦めや無気力感に支配されており、もっと言えば「どうせ何も良くならないのだから、遊びだろうと仕事だろうと本気を出すなんてダサイし無駄」みたいな、斜に構えた退廃的なところがありました。

ところが世の中が徐々に変わり、アラサー世代になって以降は斜に構えた感じはなくなり、仕事だろうと遊びだろうと何事も全力投球で臨むようになりました。また、そうした姿勢や態度を「ダサイ」なんて思うこともなくなりました。

ただ単に、私が良い年して中二病をぶっこいていただけかもしれませんし、そもそも30歳を前にすれば世の中の動向に関係なく仕事が楽しくなってきて、何事にも意欲的になるタイミングだっただけかもしれません。しかし私自身、やっぱりその自分自身の変化には「世の中のムード」の影響も強かったように思うのです。

初めて味わう右肩上がりの社会。辛かった新卒の就活とは別世界で、今は転職市場では仕事や会社を選べる立場。生活の安定が安心感と意欲を生んで、新しいことにもたくさんチャレンジしました。たくさん働き、たくさん学んで、たくさん遊びました。私はそういう30代を過ごすことができました。

これはまさに、今日より明日の方が、明日より明後日の方が豊かな生活を送れているだろうと思えているからこそ過ごせた日々なのだと思います。
独創的な天才や、人並み以上の努力ができる秀才であれば、社会がどんな状況でもそういった考えに至ることができるのでしょう。一方、「右肩上がりの社会」というのは、私のような凡人でもそう思える社会のことなのだと思います。

また、我々の世代や我々より少し上のロスジェネ世代の若い頃は「自己責任論」というものがとても流行した時代でもありました。
そもそも自己責任論というのは、自分で自分のした選択に責任を持ちましょうとか、自由を謳歌したいならばそれに伴う責任もしっかり持ちましょうとか、そういう自分で自分を律する戒め的な意味合いのものだったと思います。

ただ、徐々にそれが「お前の人生がうまく行かないのはすべてお前が悪い」的な意味として、あろうことか政治家が国民に対して使うような風潮が発生したのがちょうど2000年くらいのこと(小泉政権のあたり)。私自身、こうした考えにかなり毒されていたと思います。

アベノミクスによる人材市場の好況を見てそれは間違っていたことに気づきました。殊に就労という領域においては、「本人の能力×その時代のマクロ経済政策」の掛け合わせによって成否が決まるものであり、すべてを「アンタの能力がないからだ」と切り捨てるのは間違いで、しかもそれを政治家が国民に対して言うなんて業務放棄以外の何者でもありません。

こういう行き過ぎた自己責任論の呪縛から解放されたのも、個人的には印象的な出来事でした。

安倍さん亡き後でも「陰鬱で退廃的な日本」には、たぶん逆戻りはしない

今回は自身の見解を「虫の目」とし、特に経済政策に絞って安倍さんの政策やその政策が一般庶民の一人である私に与えた影響について解説してきました。

そして、物心ついた時にはすでに安倍さんが総理大臣だったという若い世代の読者の方は、「陰鬱で退廃的な日本」の章や、長きに渡る日本の経済政策の失敗などの章を見て「またこんなことになったらどうしよう」とビビってしまったのではないでしょうか。

私も安倍さんが退陣し、安倍さんの政策を引き継いだ菅さんも1年で退陣した際にはまた日本は逆戻りするのではと心配になりました。ただ、多くの世代がこの「右肩上がり」を味わった今、今更またあの陰鬱で退廃的なムードの日本に逆戻りするなて、戦争で攻め込まれでもしない限りありえないだろうと、私はやや楽観的に考えています。

私たちは明日からも生きていく

安倍さんの急逝は本当に衝撃的な事件でした。
何よりも安倍さんご本人が、まだまだやり残したこともたくさんあって大変無念だと思います。

ただ、安倍さんが切り開いた日本復活への道は、どこかの偉い人に一人に託されたわけではなく、残された一人ひとりで達成していかなければないと思います。私一人がやれることなんて、ほとんど何もありません。ただ一つできることは、今後も希望を持って前向きに生きて、斜に構えて退廃的だった頃の自分には決して戻らないということだと思います。

多くの功績を残された安倍さんのご冥福をお祈りするとともに、たくさんの苦労からも解放され、今はゆっくり休まれているといいな、と思います。

今回は書いているうちに話があちこちに飛んでしまい、思わぬ大作になってしまいました…。とても長いエントリになってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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