拙著・LGBT青春小説「海辺の随想録」好評配信中!―みどころや制作秘話など

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どうも、英司です。

いつもこちらではブログを書いているわけですが、実は昨年10月頃より久々に長編小説を書いておりました。そしてめでたく完成まで漕ぎつけ、現在Amazon Kindleおよびnoteにて配信中です!作品タイトルは「海辺の随想録」で、ほろ苦くも爽やかなLGBTの青春小説となっています。(今ならKindle Unlimitedの対象作品なので、会員の方は無料でお読みいただけます)

>>作品はこちらより

年寄りみたいなことを言いますが、すごい時代になりましたね(笑)自身が創作したものを電子書籍化してAmazonという世界最大の書籍の市場に投入できるわけです。

当然、出品に費用はかかりません。審査に通れば誰でも出品可能です。出版社が提供する自費出版しか自分の作品を世に出す方法がなかった時代は、安くても100万円近いお金がかかっていたわけですが、今は作品さえ書けて、あとはちょっとWEBを使いこなせれば無料で本を販売できてしまいます。

確か中学生の頃だったと思いますが、一時期小説家になりたいと思っていた頃がありました。その後20年以上が経過して、こんな形で自分の作品が世に出るとは夢にも思っていませんでした…。

今回は自身のブログということで結構好き勝手に(?)書けるので、作品のあらすじや制作中の秘話なども書いていきたいと思います。

小説「海辺の随想録」簡単なあらすじ

本作はアラフォー世代のゲイ「橘 宏人」の現在の生活を描いた令和編と、宏人が高校時代、海の見える故郷の街で友人たちと過ごした青春時代の回想を平成編とし、その2つの時代の話が一章ごとに交互に展開していく構成のストーリーです。

令和時代の東京で自由気ままな独身ライフを謳歌するシングルゲイの宏人が、実家の自室の机の中から高校2年生の時につけていた日記帳を発見するところから物語が動き始めます。

日記帳にはすっかり忘れ去っていた高校時代の友人たちとの牧歌的な思い出が描かれ、当初はほのぼのとしたストーリー展開ですが、平成編の宏人は徐々に自身のセクシュアリティに、つまり、自分がゲイであるということに気づき始め、自分の性への戸惑いや恐怖に蝕まれていきます。それに比例して日記にも徐々に不穏なムードが漂い始めます。

令和編の宏人は腹を割って話ができる友人もいて、経済的にも不自由のない生活を送り、それなりにゲイとしての人生を楽しんでいるようには見えるものの、老化により両親が病気がちになって行く姿を見て自分の将来に漠然とした不安感を抱いていたり、セクシュアリティに悩み苦しんだ記憶と結びついている「故郷」というものに対してかすかな気まずさを感じていたりと、一筋縄ではいかない複雑な心境を吐露するシーンが随所に見られます。

本作は青春時代の叶わなかった恋愛を主眼に置いた作品ではなく、故郷に置き去りにしてきたまま長い間触れないようにしてきた様々な記憶が紐解かれていくに連れて令和の宏人にも影響を及ぼし始め、やがてそれが前に進むきっかけへと変化していく過程に主眼を置いた作品で、そこがこの物語の最大の見どころとなっています。

爽やかな青春時代の思い出、ほろ苦い自分の性への悩み、そして清々しい令和時代のラストへとストーリーが流れて行く本作は「LGBTの青春小説」を称していますが、より正確に言うならば「純朴な青春小説と、かつて流行した東京を舞台にしたトレンディドラマが入り混じったような作品」と言った感じでしょうか。ですので、かなり広い年齢層の方々に楽しんでいただける作品に仕上がっていると思います。

楽しくもしんどかった執筆作業

本作は完全オリジナルストーリーのフィクション作品です。

ただ、個別のエピソードの中には私が実際に経験したことも含まれており、当時の辛かった心情や後悔などが押し寄せて来て途中とても辛い時期がありました。

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私自身も主人公の宏人と同じく、辛かった記憶や勝手な振る舞いをしてしまった後悔などを都合よく「忘れる」ことで、その後の人生を円滑に過ごしてきた側面は確かにあったと思います。フィクションとは言え平成編の宏人に自身を重ね合わせてしまう場面もあり、青春時代の自身のほろ苦い記憶を追体験しているような気持ちになっていた場面もありました。

小説を執筆する前からそのような心境になることは予測できていましたが、これが予想以上にしんどかった(笑)

少し筆が進まなくなる時期があったのですが、趣味とは言えせっかく書き始めた作品なので、やるからには作品として完成させたい思いも強かったです。

創作活動における「生みの苦しみ」とはよく言ったもので、これほどまでにそれを実感した経験はありませんでした。

等身大性=ほんのりとしたドロドロ感と、現実的な清々しさ

本作は最初から「新宿二丁目の飲み屋でよく見かけるあの人が、実は歩んできたかもしれない物語」というスタンスのものにしようと決めていました。そのためには徹底した「等身大性」を追求する必要がありました。

本作にはほとんど性的な描写はなく、アングラ感も一切ありません。かと言ってほのぼのとした日常系かと言われればまったくそうでもなく、LGBT系の作品には珍しく主人公の宏人は恋人のいないシングルのゲイという設定です。都会暮らしをしているフリーのゲイらしくそこそこに遊んでもいます(笑)

平成編の高校生の宏人も、途中まで叶わぬ恋に打ちひしがれる悲劇のヒーローになるかに思われましたが、自分のセクシュアリティに気づいて以降、若いながらにも自分のこの先の人生を真剣に考え、「自由な人生」を渇望して努力して目標を達成するという底力を見せます。平成編の宏人は全体を通して純朴で物分りの良い素直な男子高校生ですが、大事な局面で「このままで終わってたまるか!」という逞しさを発揮しました。

根は真面目だが流されやすく、とても清廉とは言えない令和の宏人と、素直で物分りが良いが人生を左右する局面で突然周囲を困惑させる突飛な決断をする平成の宏人。こうした二面性、複雑さ、チグハグさに、等身大性や人間らしさを託しました。

故郷の設定をどこにするかについてはかなり迷った

本作の令和編は主に東京が舞台で、主人公の宏人は渋谷の会社で働き、三軒茶屋に住み、友人たちとは新宿近辺でよく遊んでいます。そして物語が大きく動くときは必ず東京駅を出発する特急列車に乗って故郷へと帰省しています。

一方、平成編で描かれる故郷は、明確に場所を明かしてはいませんが千葉県の東側の海のある街という設定になっています。

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当初、この故郷をどこに設定するかで非常に迷いました。そもそも、本作のタイトルが「海辺の随想録」なので、海のある街に最初からこだわっていたかと言えばそうでもなく、あくまでメインのテーマは「過去、故郷に置き去りにしてきた記憶が紐解かれていくことで、現在の自分が前に進んでいく」というストーリーにあったので、「海」へのこだわりはそこまで強くはありませんでした。

ただ、これが本当に地方の田舎過ぎると高校時代の友人たちとの遊びのバリエーションも少なく、学校の規模自体も小さくなり、高校時代の思い出の描写が単調になり過ぎてしまいます。また、飛行機や新幹線を使わなくては行けない場所となると、東京に暮らす現在の主人公が「故郷に気まずさを感じるが故に、いつも地元の友人に会わないよう日帰りで半日ほどしか滞在しなかった」という描写も難しくなります。何より、本作では宏人以外の仲の良かった同級生のメンバーは地元に残っている設定です。これも、あまりに田舎ではそもそも地元に若い人のための雇用がなく非現実的な描写になってしまう。

そういった逆算をした結果、関東地方のどこかで、かつ東京のベッドタウンのエリアよりも東京からは離れていて、しかしロードサイドや周辺で一番大きな駅の前には若い人が遊ぶような娯楽施設がちゃんとあって、地元の若い人の雇用もそこそこにあるような街、という場所に照準を絞る必要が出てきました。

次に、自然の描写です。東京に暮らす現在の主人公の生活と故郷で過ごした高校時代を一番対比的に表現できるのがこの自然の描写でした。

個人的には山や森林はけっこう好きなのですが、「故郷に帰ると、そこで経験した辛かった記憶が思い出される」という設定の本作で、山や森という自然の描写はそのトリガーとして少しインパクトが弱かった(笑)

あと、「鬱蒼とした山や森を見て辛かった記憶がよみがえる」とすると暗→暗への連想になってしまい、少し陰鬱さが強すぎる。

一方、作中でも「海に反射する太陽の光」という表現が複数回出てきますが、きらきらと太陽が反射する海が、辛かった記憶を呼び起こすトリガーになるという設定にすると明→暗の対比となっていて、文章表現として陰鬱になりすぎず、何も考えずに見ていたら本来なら美しく明るい気持ちになる景色なのに、主人公にとっては単純にそういった景色には映っていないという、当事者ならではの複雑な心境をうまく表現できると考え、舞台は「海の見える街にしよう」ということになりました。

そこで最初に考えたのは神奈川県の西湘地域か静岡県の東部だったのですが、いかんせん東海道新幹線が使えるが故に交通の便が良すぎた(笑)

小田原あたりなら東京からたった30分、三島や熱海でも僅か40分~50分です。実際の距離は別として、時間距離や精神的な距離があまりに東京に近すぎるということで、やっぱりイメージと少し違うとなり、いろいろ調べているうちに千葉県の東部ということにしました。

これが結果的に夜明けの太陽が水平線から登ってくる本作の最初の見せ場のシーンの描写へと繋がり、結果的に大正解だったと思っています。

本当に良い時代に生まれたと実感

本作は約10万文字で、一般的な文庫本1冊分の長さになります。確か卒論もそんなに長くなかったと思うので、これまでの人生で一番長編の文章を完成させたということになります。

しかも、卒論はそれを提出しなければ大学を卒業できないという性質のものなので、自分の好きなテーマで書いているとは言えそれなりの強制力を伴ったものでした。

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ところが今回は、平日は仕事、休日だって友人と遊ぶ日もある中で少しずつ進めてきました。趣味の範囲でやっていることなので、何の強制力もありません。そうした環境の中で作品を完成させられたことは、ただならぬ達成感を味わえるものでした。

ただ、強制力はないとは言え「発表できる場がある」というのは、確実にモチベーションになっていたと思います。

本作はAmazon Kindleとnoteにて配信中ですが、当初Kindle版での販売はあまり考えていませんでした。ところが、いろいろ調べていくうちに思っていたよりも簡単に電子書籍化ができそうだということに気づき、ダメ元でKindleの審査に通したところすんなりと審査に通過しました。正直「あのAmazonでこんなに簡単に本を売って良いものか」と呆気に取られるくらいです。

つい20年くらい前まで自作小説と言えば、出版社が主催する文学賞に応募するか、自分で高額なフィーを払って自費出版するくらいしか自分の作品を世に出す手段はありませんでした。

ブログが普及し始めたくらいから自分のブログで小説を発表する人も居ることには居ましたが、あくまでブログは日記的な文章を書くプラットフォームなので、小説を発表するものに最適化はされていませんでした。

他、小説投稿サイトは10年ちょっと前からありましたが、ほとんどがファンタジーや恋愛モノのライトノベルを対象としたもので、本作のようなテイストの作品はやはり、文学賞に応募するか自費出版をするかの2択を迫られていた時代が長かったと思います。

文学賞は1年に1回ですし、そもそも入賞するにはとんでもなく高いハードルを超えなくてはなりません。かと言って自費出版もおいそれと気軽に出せるような金額ではありません。

ところが今は、個人でここまでのことができるのかということに感動すら覚えました。

元手もゼロ、在庫を抱えるリスクもゼロでAmazonで自分の作品を売れるのです。こうして「自分の作品を発表できるプラットフォームが確実に存在している」という状態があることこそが、モチベーションの維持に大きく影響していたと感じています。

さいごに

今回、「海辺の随想録」は前述の通り書いていてしんどい局面もありました。ただ、それだけに自分自身も物語の世界に没入し、心を込めて執筆した作品ということでもあります。

胸が締め付けられるような展開もありますが、最後は清々しい読後感を味わえる作品になっていますので、ぜひお読みいただけたら嬉しいです!

>> 作品はこちらから!

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