自分の起源に出会う旅-祖父の23回忌で感じたこと

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どうも、英司です。去る2018年5月12日、兵庫県にある母方の祖父の23回忌に行ってまいりました。兵庫と言っても神戸のような都会ではなく、ほぼ岡山寄りの加古川市に母の実家はあり、新快速の停まる加古川駅から更にのどかな単線の電車に乗って下ったところに祖父母の家があります。

叔父や叔母は兵庫に残り、いとこたちも比較的近くに住んでいることもありちょくちょく集まってはいたようですが、我が家だけ首都圏在住ということもあり、叔父も気を使って節目の集まりしか声をかけなかったそう。

しかもその集まりにも今まで母が出席していましたが、今回は母の体調が良くなく、とてもじゃないけど千葉から兵庫までの長旅に耐えられる状態ではなかったため、その代打として私が出席した次第です。

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実は行く前まで憂鬱だった

前に祖父母宅を訪れたのは高校を卒業した春休みで、祖母の四十九日法要でした。実は祖母は奇しくも私の誕生日である2月6日に亡くなっており、高3の2月と言ったら大学入試の真っ只中。

数校入試を受けていたので当然葬儀には参加できず、せめて四十九日はということで祖母の実家に訪れたのが最後の訪問でした。当時18歳でしたので、実に15年ぶりの訪問です。

実は、今回参加するまでは少し憂鬱な気持ちでした。というのも、祖父母の家にそこまで明るい思い出がなかったからです。別に祖父母が意地悪だったとかそういうことではなく、むしろ孫にはとても優しい人たちでした。

しかし、私の母は3人きょうだいの末っ子で、私も更に3人きょうだいの末っ子です。つまり、物心ついた頃には既に祖父母はかなり高齢で、小さい頃は親にくっついて帰省していましたが、他の友達の帰省と言えば「おじいちゃんおばあちゃんとどこどこに遊びに行った」みたいな話が多い中、我が家の場合はほぼ「介護帰省」と言った様相です。

祖父母も晩年は交代で入院していたような状態で、大人たちは介護に忙しく、遠く離れたところなので当然私には一緒に遊ぶような友達もおらず、常に「やることがない」状態になります。

祖父母には申し訳ないですが、幼心に「せっかくの夏休み。千葉県の自分の家で留守番をしていたら友達とたくさん遊べるのになぁ」なんて内心感じていたものです。

小学校高学年から中学生くらいになると、私も祖父母の家にはほとんど行かなくなり、18歳の時に訪れたときも数年ぶりの訪問でした。

そして今回は更に間が空いて13年ぶりの訪問。施主として忙しく立ち回っている叔父と叔父の奥さんには頭が下がる思いですのであまり憂鬱な面持ちを見せてはいけないと自分に言い聞かせ、前乗りして宿泊していた姫路から加古川へ行き、加古川からは40分に1本しかない単線で1両編成の電車に乗り、祖父母の家のある駅へ降り立ちました。

温かい雰囲気だった法事

非常に高齢化が進み、昔確かにあった商店などもシャッターが閉まり、随分と閑散とした駅から祖父母宅への道が、更に憂鬱さを招きました。

祖父母の家に到着すると、既に叔父やいとこたちは揃っていました。叔父の奥さんは大変気立ての良い人で話もうまく、ああいった席では非常にテキパキと器用に立ち回れるタイプの人で、血の繋がりもない祖父母のことも晩年は献身的に介護をし、本当に昔ながらの優秀な主婦、と言った感じ。血縁者でありながら遠くに住んでいてほとんど祖父母宅へ寄り付かなかった者としては本当に頭が上がりません。

一方、叔母は耳が遠くなっていて、少し会話もゆっくりしないといけない場面もあり、ああ、みんな年を取ったなぁ…としみじみしつつ、久方ぶりに再会したいとこたち(と言っても10歳以上年齢が離れていますが)とは近況報告をしつつ、お坊さんが来るまでの間、とても温かい雰囲気でした。

今はすでに空き家となっていた祖父母宅ですが、その日は朝早くから叔父の奥さんが掃除をしてくれていたようで、整然としていました。昔はこの家で「やることがない」と嘆いていましたが、今回の訪問はなんだかアットホームで温かい雰囲気に包まれていました。

法要が終わるとお墓に移動しました。本当にバチ当たりな孫なのですが、実は祖父母のお墓に行ったのは今回が初めてです…。

常に明るく振る舞う叔父の奥さんや、その叔父の奥さんの血を引き継いだのか、明るい性格の叔父方のいとこたちのお陰で、非常に明るく優しい雰囲気に包まれた法事とお墓参りでした。

そして、首都圏の核家族という親戚等の血縁者との繋がりもほとんど無い環境で育った私にとって、普段あまり感じたことのない温かさや柔らかさを感じた1日でした。

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帰りのホームで感じたこと

その後は親戚一同で会食をして夕方には解散し、親戚たちは各々車で帰る中、私だけはいとこに駅まで車で送ってもらい、今朝は憂鬱な面持ちで降り立った単線の駅で一人電車を待っていました。

しかしその時はもう、憂鬱な気持ちではありませんでした。ホームから見える牧歌的な風景を眺めながら、「母は約半世紀も前に家族と別れてこの駅から東京に向けて出発し、そこで北海道のド田舎から東京に出てきた父と出会い、家庭を築き、姉たちや私が生まれたんだ」と思うと、駅から見えるその風景も、どこか郷愁を感じる風景に変わっていました。

そして、13年もの間ここを訪れなかったこと、お墓にすら行ったことがなかったことに対し、祖父母に対して非常に申し訳ない気持ちになったと同時に、今回はこのような機会を与えてくれたことに対し、感謝の気持ちも溢れて来ました。

これまで自分の起源についてなど考えたこともありませんでしたが、自分は突然この世に発生したわけでも、店で売っていたわけでもなく(幼い頃、自分はデパートに売っていたと割とガチで信じていた時期があった)様々な人の「選択」と「偶然」、それらが作り出す人間ドラマが相互に作用しあって生まれて来たのだと、深い感慨に耽りました。

自由で忙しい東京の生活では感じることのできない気持ちになり、自身の出自や起源についても知れて、大変良い旅となりました。

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