旅立ち -ジャックさんのご逝去に寄せて-

 

どうも、英司です。
ちょっとずつではありますが、日照時間も長くなり始めた最近ですがいかがお過ごしでしょうか。

 

年明け早々に、アフリカや南米などへの旅行記と、LGBTについて独自の視点から鋭い論評を行っていたブログ「ジャックの談話室」を運営されていたジャックさんの訃報が発表されました。

 

「ジャックの談話室」はこちらから

 

 

覚悟していた訃報

 

この訃報、実は共通の知人を通して昨年末には私の元には入っておりました。その時は、驚きというよりは「ついにこの時が…」という気持ちの方が強かったです。

 

と言うのも、私も同じくLGBTに関するブログをやっていますし、その関係もあり、実は2013年頃からジャックさんとはE-mailを中心に交流を続けておりました。

 

ジャックさんと私は親子ほどの年の差もあり、生きてきた時代も違います。コミュニケーションの方法も、LINEやSNSのような短文のやりとりを頻繁にする、というよりは、昔の「文通」がそのままE-mailに置き換わったような感じで、週1往復くらいのペースでよくメールをしていました。

 

メールの内容も、ブログネタのアイデアの共有や意見交換のような硬い内容ばかりでなく、最近あった楽しかったこと、辛かったことを話したり、時には恋愛相談なんかもしたりしていて、私にとっては「すごく年齢の離れた友人」と言った感じの方でした。

 

そうしたやりとりの中で、晩年は病気がちであったこと、手術や入退院を繰り返していたことは知っていました。「自分はもう、先が長くないから…」というセリフは、お年寄りにとっては口癖のようなものですが、彼の場合は本当で、昨年夏に行かれていた旅行も延命治療を断ったために実現したもので、ご本人も「これが最後の旅になる」と仰っていました。

 

ジャックさんは私の父とちょうど同い年でして、それをお聞きした時、脳裏にはここ数年で一気に体力も精神も弱ってしまった父の姿が過り、彼は決して大げさな表現をしているわけではなく、本当に「これが最後の旅になる」とわかっていたのだろうと思いました。

 

父と同い年で、独身を貫いたゲイの方が、自分の人生や考えを語る、というのは実はすごく貴重なことでして、頷けるものばかりではなかったのも事実ですが、いつも非常に興味深くご意見をお聞きしていました。

 

初めて互いを知ったきっかけ

 

実は私は、彼のブログはけっこう昔から読んでいました。まだ若く熱意にあふれていた頃は、彼の書くちょっと穿った目線からのLGBTに関する記事を読んで「なんて偏屈な人なんだ」「人を不快にさせる達人じゃないか」というのが、ブログを見つけたときの第一印象です。

 

確かに、物言いや表現にキツイ部分はありましたし、私自身「不快」とか言っていましたが、不思議とどんどんと読み進めてしまっていたんですね。その理由は、キツイ表現の中にも共感すること、「なるほど、そういうモノの見方があったか」という発見もあったからこそ、読み進めるのを止めることができなかったのでしょう。

 

そんなある日、ジャックさんからメールにてご連絡をいただきました。実は彼は、他でもないこのブログ「陽のあたる場所へ」の読者だったことが判明したのです。

 

用件は、彼のもとにも自身のセクシュアリティに悩む若い方から相談のメールが来るそうなのですが、彼の性格上ナイーブなタイプの若者にはすぐイライラしてしまうようで(あの人らしいですね・笑)、気の利いたアドバイスができないでいたそう。そこで、悩んでいる若い人に下手なことを言うよりも、ゲイであることを受け入れて楽しく暮らしている人を紹介するのが手っ取り早いだろう、という考えに至ったらしく、私のブログを自身のブログや、相談のメールを送ってくる若い人に紹介して良いか?というお問い合わせでした。

 

彼にとって私が「自分のセクシュアリティを受け入れて楽しく暮らしている人」に写っていたのにも驚きましたが、何よりも、ブログの内容から想像していたイメージとはだいぶ違っていた方だったことが印象的でした。

 

なんというか、非常にストレートな方でしたね。勝手な印象ですが、相当偏屈な方かと思っていたのですが、感じたことは率直に言うし、おかしいと思ったことはその場ですぐに指摘する、というタイプで、裏表が一切なく、意外にも非常に付き合いやすいタイプの方でした。

 

そこで彼が私のブログを紹介した記事が、下記です。

 

悩めるゲイの若者のためのブログ

 

 

私を「リベラルな考えの人」と紹介した衝撃

 

当該の記事の中で彼は、私を「リベラルな考えの持ち主」と紹介しています。あまりこのブログで右だの左だのという話をするのは本望ではないのですが、少なくとも彼にとって私は「リベラルな考えの人」に写っていたのですね。

 

しかしこれは、非常に本質を突いたご指摘でした。というのも、彼がよく批判している「LGBT活動家」と呼ばれる方たちは、自分たちの意見に賛同しない人や、反体制的でない男性同性愛者を指して「ホモウヨ」などと呼んで罵倒して回っており、反体制的ではなく、普段から行き過ぎた社会運動に批判的だった私も、当然彼らにそう罵られ、一部では私は「右翼」と言われています(私自身にはそのような自覚はありません)。

 

そんな私を「リベラルな考えの持ち主」と表現したジャックさんですが、これは大変本質を見抜いていた証です。

 

というのも、確かに私は反体制的な考えの持ち主ではなく、LGBTに関しても(Tはともかくとして)LGBの弱者性を過度に強調し、社会に対して保護や配慮を要求する主張には懐疑的です。

 

しかし一方で、私は「『挑戦する機会』は、全員に平等に訪れるべき」という考えを、けっこう昔から持っていました。成功する人、失敗する人、最初から挑戦しない人、そこそこで満足する人…世の中にはいろいろな人がいるけれど、「挑戦したい」と思ったときにちゃんと挑戦できる環境が整っている社会、ダメになってもまた再スタートできる社会、そんな世の中っていいな、って思います。

 

「結果の平等」が保証された世の中は自立心を削ぐばかりで、努力も挑戦もバカバカしいものと思う世の中になってしまいます。しかし、誰もが平等に挑戦する機会に恵まれた社会は、様々な人の挑戦が多彩なアイデアを生み、人が門地や血筋、(セクシュアリティを含む)基本属性などと言った自分の力では変更ができない「何者であるか・・・・・・」ではなく、どんな考えを持っていてどんな仕事をしていて、どんなことを学んできたのか、つまり「何をする(した)人か・・・・・・・・・・」で評価される、そういう世の中ってすごく「フェア」だと、私はそう考えています。

 

私が、LGB(T)に関して過度に弱者性を強調し、社会的に手厚い保護や配慮が必要な存在であるかのような主張や言説に批判的なのも、実は上記の信念があるからです。

 

彼らは、自分の力では不変な『基本属性』と、本来は自分の挑戦や努力で移動できるはずの『階級・階層』とが完全に連動しているものであるかのような主張が多く、これは私が先程から言っている「機会の平等」とは真逆の考えなのです。

 

そして、この「機会の平等」という考え方は、実は「結果の平等」を追求してきた社会主義が崩壊した冷戦以降、世界的に「リベラリズム」の主役となった概念なのです。

 

ただ、自分の根幹にあるこういった価値観をここまでうまく言語化できるようになったのは最近のことで、若い頃は当然、ここまで明確に言語化・文章化なんてできていませんでした。

 

しかしジャックさんは、まだ若かった頃の私のブログの記事から、こうした根本的な価値観までもを見抜いていたのだと思います。

 

ジャックさん、良い旅を!

 

少し話は逸れましたが、このように、彼はとても卓越した「真実を見る目」の持ち主だったのではないかと思います。

 

本当にたくさんのことを学ばせていただきましたし、本来であれば、もう少し学びたかったです。ただ、彼のことですから、こんなことを言っていたら天国で「何を言っているんだ、しっかりしなさい!」なんて言ってそうですね。

 

とにかく旅好きだったジャックさんも、人生という長い旅を終えてしまいました。あちらの世界でも、たくさん旅行に出かけたり、若いカワイイ子に囲まれていたりすることを願いつつ。