新幹線大爆破(1975年/日本)-良い意味で日本らしい元祖パニック映画

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どうも、英司です。
いよいよ桜も開花し、春の訪れを感じている最近ですが、いかがお過ごしでしょうか。

 

昨晩、眠れなかったのでAmazonプライムビデオでこちらの作品を見ました。

 

新幹線大爆破 (1975年公開 出演・高倉健/千葉真一/宇津井健)

日本だけでなく海外でもかなりヒットしたという本作。
久々にかなり傑作だったので、ネタバレしないように留意しつつも少しレビューを書こうと思いました。

 

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ネタバレしないようにあらすじと見どころを

 

まずは簡単にあらすじを。以下、引用http://www.eigabu.comより引用(一部改変)

 

9:48東京駅。いつもと変わらない東京の朝。
19番線ホームからひかり109号博多駅行きが1,500名の乗客を乗せて出発。いつもと変わらない日常のひとコマのはずだった。

神奈川県中部を走行中、ひかり109号に爆弾を仕掛けたという電話が入る。その爆弾は時速80キロを下回ると爆破するものだという。
そんな脅迫をしたのは、沖田ら3人の犯人グループだった。

最初はただのいたずらと思っていた国鉄の職員たちだったが、北海道を走る貨物列車に同型の爆弾を仕掛けて爆破させたことからこれが本物であると確認される。

沖田は新幹線の爆弾を解除するかわりに、500万ドル、日本円にして15億円もの金額を要求する。

国鉄はこの沖田の要求を受け、500万ドルを用意し、その受取には沖田の工場で働く職員・大城が向かうことに。

だが大城はその受取に失敗し、警察からの逃走の末に事故死してしまう。

これでは爆弾の解除はできないと絶望的になる国鉄職員たちだったが、まだ犯人グループには主犯がいると判断しさらに警察の捜査が進められていく。

沖田は再度500万ドルの受け渡しを指示、今度は沖田自らが受け取りに向かい入手に成功する。

その間、名古屋駅や新大阪駅など、本来停車するはずの駅を通過し続ける新幹線の車内では、爆弾が仕掛けられたことを知った乗客たちがパニックを起こしていた…。

 

以上引用

 

映画好きな方なら「あれ?どこかで聞いたことのあるような設定」と思ったかもしれません。そう、実はこの映画、この約20年後にハリウッドで公開となった大ヒット作「スピード」シリーズの原典ともなった作品と言われています。

 

当時はまだ今のようなCGによる合成技術もないわけで、パニックムービーを作るのは相当大変だったかと思います。しかし、ここは日本が大得意とする特撮でカバー。実際の映像と特撮映像を巧みに組み合わせ、不自然さを感じさせないところや、日本映画界を代表する名だたる豪華キャストが、割と体当たりの演技をしていて、2時間以上も手に汗握る展開でした。

 

新幹線管制官の倉持(宇津井健)と、ひかり109号運転手の青木(千葉真一)ら国鉄職員の、1,500名もの人命がかかった極限状態での仕事人としての意地とプライド、それをあざ笑うかのような犯人グループの沖田(高倉健)らの攻防。

 

また、人命救助よりも犯人逮捕を優先するあまり、乗客の安全確保を最優先に考える国鉄と度々衝突する警察当局の設定は、正直今では考えられないというか、いかにも警察がヤンチャだった1970年代らしい一面でした。

 

この映画、単純なパニック映画としてエンタテインメントの視点からもとても楽しめますが、よく考えると当時の世相や社会的背景、私たちのような1980年代生まれの世代には概ね「明るい時代」と認識されてきた1970年代の日本が抱えていた闇の部分にもスポットが当てられていて、非常に複眼的な視点が共存した映画で、それがこの映画の厚みを生んだのではないかと思います。

 

高度経済成長期の日本に存在した光と闇

 

まず、この作品が舞台に選んだ「新幹線」というものが今でいう新幹線と随分意味合いの違うものであったかと思います。

 

東海道新幹線の開業は1964年。東京から新大阪間を結ぶ世界最速かつ最新鋭のコンピューター制御システムを搭載した高度テクノロジー鉄道として、世界中の注目を浴びる中で開業しました。後の1972年には山陽新幹線が開通し岡山まで延伸。この映画が公開された1975年には博多まで延伸し、東京を起点とした西方の本州と九州地方の大都市間での大量高速輸送が実現。

 

この新幹線が東西の日本の大都市間でのヒト・モノ・カネの行き来を劇的に改善させ、高度経済成長の原動力になったことは歴史が証明しています。

 

そんな新幹線という存在は、1970年代当時、やっと社会から貧しさがなくなり、戦後生まれが社会人になり始め、平和と豊かさを享受する当時の日本人たちにとって高度経済成長の輝きの象徴的存在だったことは想像に難くありません。

 

実際、乗客としてひかり109号に乗っていた人々として描かれているのは、大口取引を控えたビジネスマンや芸能人、マスコミ関係者、女医など、あの時代の豊かさの波にうまく乗っていた人たちでした。

 

一方、爆弾を仕掛けた犯行グループのリーダーである沖田は、会社を潰してしまった元工場経営者。借金を作り、奥さんと子供にも逃げられ、絶望の淵にいました。他、この作戦に乗った若者、大城(織田あきら)は集団就職で沖縄から東京にやって来るも、うまく東京に馴染めず職を転々とする中で、沖田の工場で世話になっていた若者という設定。

 

3人目の犯人グループメンバーの古賀(山本圭)は、学生運動にのめり込み、マルクス主義思想に陶酔するも、内ゲバ争いに敗れ人を信用できなくなっていた落ちぶれた活動家という設定。

 

特に外国のパニック映画にありがちな「極悪非道のテロリストVS絶対正義の警察や軍隊」みたいな構造ではなく、犯人たちのバックグラウンドをしっかり描くことで、自分の力ではどうすることもできない社会の矛盾や理不尽さ、明るい時代の裏で、器用には生きて来られなかった人の心情を描き、しかも、それが当時の社会情勢からしたらすごくリアルだったのでしょう。

 

順調に成長を続けてきた日本経済も、1972年に起きたオイルショックで低成長時代に入り、世界的にも「豊かな国」になった日本からは工場等の製造拠点はより賃金の安い海外に出て行き始め、沖田のやっていた工場などはその煽りをかなり受けていたのでしょう。

 

大城のように集団就職で都会に出てくる若者は当時はたくさんいました。しかし彼らにとっての「就活」は今でいう就活とは随分違っていて、一人一人何度も面接を受けて自分で行きたい会社を選ぶものではなく、何百人という工場労働者のひとりという扱いで、特に身寄りのない地方出身の若者にとって就職先に馴染めないということは、今以上の恐怖と苦痛であり、なおかつそこで失敗してしまった時に感じる自己否定感や絶望感は、とても強烈なものだったのでしょう。

 

また、古賀のような活動家崩れもあの時代はけっこうたくさんいたと聞きます。1960年代なんかは学園闘争華やかかりし頃として知られていますが、かと言って、国会前や繁華街を占拠していた学生デモ隊すべてがマルクスの「資本論」に陶酔していたかというと実はそうでもなくて、今のように娯楽が溢れていなかった時代、普段のうっぷん晴らしや、お祭りに行くノリ、あとは女の子に出会えるかも?なんて動機で学生運動に参加していた大学生もすごく多かったようで、彼らは一通り「娯楽」として運動をした後、卒業が近くなればシレっとスーツを着て面接を受け、何事もなかったかのように企業に就職していきました。古賀は、このような「器用さ」を持ち合わせていなかったタイプなのでしょう。

 

大量生産、大量消費の時代、豊かな社会から逸脱した者たちにとって、これら社会の「光」の部分の象徴的存在であった「新幹線」を狙ったことに関して、一種の主張の正当性を感じてしまっていたことが予測できます。

 

この映画を見た人にとって、もちろんこんな事件が実際に起きたら恐ろしいことですが、犯人たちの描かれ方がどこか「違った自分の姿」と言うか、「自分も人生のどこかの時点で何か違った選択をしていたら、ああなっていたかもしれない」という感覚を呼び起こさせるものがあったのではないかと思います。

 

興味深い後日談

 

本作品はその後、米国とフランスでもヒットを記録しました。当時は日本映画と言えばマニア向けのミニシアターで上映されることがほとんどの中、大型劇場を満席にするほどの反響だったようです。その後、話題が話題を呼び西ヨーロッパ全土でも大ヒットを記録したそうです。

 

ただ、これらの国で放映されたバージョンは大幅にカットが加えられた模様。そのカットされた部分とは、犯人グループのバックグラウンドにスポットを当てた部分だそうです。

 

なんとまぁ、それではこの映画の良さが半減してしまうではないか…と思いましたが、それはお国柄というか、それぞれの国が持っていた社会的背景も影響しているのでしょう。

 

アメリカはそもそも移民の国で、ヨーロッパは戦後移民を受け入れることで労働力を確保してきた背景があります。

 

そうした国では多種多様な宗教や思想を信じる人が共存し、一部の過激派が一般市民を巻き込んだテロを起こすという事態が、日本以上にリアリティのあったものだったのでしょう。

 

なので、テロリスト側に同情を誘うような描写というのは、当時かなりタブーな表現だったようで、本作もその部分を削ぎ落とされてしまったそう。

 

ただ、それでも大ヒットを記録したわけですから、単純なパニックムービーとしての完成度も高かったということかもしれません。

 

あと、もっと面白いのが本作は当時共産主義圏の東ヨーロッパでも上映され、ヒットしたということ。

 

当時パニックムービーを得意としていたアメリカの作品は前出の通り「極悪非道なテロリストVS絶対正義の警察や軍隊」という筋書きがほとんどの中、本作は急激な経済成長や資本主義が生んだ歪にスポットを当てたこと、また、犯人グループが弱い立場の労働者だったことに対し、それと戦った正義の側が国家権力の象徴である「警察」や「軍隊」ではなく「国鉄職員」という労働者がヒーローとして描かれた点が意外にも共産主義圏では受け入れられ、厳しい検閲もくぐり抜け上映に至ったそうです。(余談ですが、本作の警察は割と滑稽な描かれ方で、何度も簡単な失敗をして国鉄職員たちの足を引っ張ります。それに対して国鉄職員が憤慨し「もう警察はあてにならない。私たちで人命を守る」という描写がされています)

 

当時、共産主義圏で西側の国の映画が上映されるなど異例中の異例の出来事ですが、なるほど、そんな視点での解釈も可能なのか、と、目からウロコでした。

 

また、本作で犯人グループの主犯を演じた高倉健さんは誰もが知る国民的大スターですが、当初任侠映画への出演から人気に火がついたことから、どうしても威勢の良いヤーさんの役柄ばかりだったそう。

 

しかし、本作では事業に失敗して妻と子供に逃げられた哀しい中年男の役柄。ジャンパー姿でタバコを吹かす姿がなんとも厭世的で退廃的な雰囲気を醸し出しており、任侠映画が中心だった高倉健さんはこの映画をきっかけにヤーさん以外の役の仕事が増え、国民的スターの座を確かなものにしていったそう。

 

確かに、非常に無表情な役でしたがそれが逆に世の中に失望し、感情さえも失ってしまったかのような役作りだったのかな、と思わせ、さすがは日本を代表する映画スターの貫禄を感じさせました。

 

いやー、本当にかなりの傑作でした。あの時代背景があってこその面白さもあったかと思いますが、ぜひ現在の日本を舞台にしたリメイク版の制作を希望します。

 

そうなると、当然「ひかり」は「のぞみ」になりますね。いや、もしかすると近未来という設定にして、リニア中央新幹線が開通した日本という設定かもしれません。

 

大城の役は大学受験に失敗してそのままアルバイトや派遣社員として食いつなぎつつ、突然職場をクビになってネットカフェでその日暮らしになった若者とかって設定になりそうですし、古賀の役はネットワークビジネスや起業セミナー等で詐欺に遭った挙げ句、新興宗教に出入りするもそこでも財産を巻き上げられた「元意識高い系」みたいな感じになりそうですね。

 

おすすめの映画ですので、下記の予告編も見てみてください。

 

 

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