大学へ行って学んだこと -その時代の大人たちに都合よく搾取されないために

 

 

どうも、英司です。
桜も散り始め、季節は初夏に向かって進んでいる最近ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

 

私は姪っ子が無事地元の県立高校に合格したそうで、姉も一安心と言ったところのようです(笑)
しかし今は入学前から進路の話(主に大学進学に関すること)を学校からされるようで、その影響から、先日母から「アンタは大学へ行ったことで何を学んだと思う?」とメールをもらいました。

 

この質問に対し、「こっちは毎日忙しいから考えたことがないし、そんなことを考えなくても生きていけるからわからない」と冷たくあしらうことも可能でしたが、なかなかそんなことをゆっくり考える機会がありませんでしたので、この母からのメールにしっかり自分なりの答えを返信することにしました。

 

このメールを返信する中で、自分なりに改めて考えがまとまった部分もありました。新年度で新たに進学や就職をした方や、受験生になられた方も多くいらっしゃると思いますので、今回は少しこのテーマでエントリを書いてみようと思いました。

 

 

学んだことはたった2つのことに集約される

 

18歳から22歳という、まだまだ価値観や生きる原理が定まらない柔軟な時期に、全国から様々なバックグラウンドや価値観を持った同年代の若者が集まる都内の大学に通ったことは、考えてみればそれだけで十分刺激的で、多種多様な人たちと関わることで自分のことをより相対的にとらえ、自分なりの価値観やモノの見方を形成するのにとても大事な時期だったと思います。

 

他にも、学生時代の友人がそのまま今では各々に仕事を持つ社会人となったことで、それがそのまま「人脈」として機能することもあります。サークルやアルバイトを通して学んだこと、人間関係での立ち回り等、挙げて行くとキリがありません。

 

しかしその中でも、最もかけがえのないものとして思い出されるのは「語彙力」「学ぶ習慣」という2つのものではないかと考えています。

 

「語彙力」と「学ぶ習慣」の一蓮托生な関係

 

私に関しては、恥ずかしながら小中高校生まであまり読書をする習慣がありませんでした。
ですので、受験勉強を始めるまでは非常に語彙力に乏しい学生だったと自認しています。

 

受験勉強の現代文に関してはなんとか「テクニック」的なスキルに頼っており、一応受験はパスしたとは言え、大学入学当時は周囲の学生に比べて読んできた本の数や持ち得ている教養の量が非常に少なく、遅れを取っていることに焦りを感じたものでした。

 

このとき、まず取り組んだことはとにかく本を読むことでした。

 

大学の授業で必要な本はもちろんのこと、その周辺知識に関するもの、新書などの社会評論、趣味や教養の領域にあたる日本文学、翻訳された外国文学など…。

 

選ぶ基準はたった一つ、「面白そうと思ったもの」でした。そうでないと続けられないと考えたからです。そして本を読む時に必ずしたこと、それは電子辞書も一緒に持ち歩くことでした。

 

本を読む中でわからない言葉(単語)に出くわしたら、必ず電子辞書の広辞苑を引き、その言葉の意味や定義をその場で確定させることを実践しました。

 

「わからない言葉」というのは、本当に初見の言葉に出くわした時はもちろんですが、なんとなく文脈で予測して理解したつもりになっていた言葉等も含まれます。この方法で覚えて行った言葉は忘れることはありません。

 

そして、今度はその言葉を積極的に使うことを実践しました。具体的には、そういう領域の言葉が使われている授業や外部のシンポジウム等にも積極的に参加し、先生や他の人がどんな文脈でその言葉を使っているか、よく聞いておくのです。

 

授業に関しても、選択できるものはできるだけ少人数の授業を選びました。少人数の授業はだいたい、ディスカッションに充てる時間が多く、発言する機会が多いからです。先生の難しい話ばかりではなく、近いレベルの同級生の発言を聞く機会も多いため、覚えたばかりのその分野特有のモノの考え方(フレームワーク)で議論してみたり、覚えたばかりの言葉を使ってみたりするのには、非常に良い環境と言えます。

 

なんだかすごく難しい話のようになってしまいましたが、これ自体、やっている最中はとても「楽しい」ものでした。知っていること、理解できることが増えるというのは、パッと視界が広がるような感覚を味わえる体験で、ただ単純に楽しいものです。

 

大学時代、他にもいろいろ学ぶことはありましたが、端的に言ってこのように「語彙力」を向上させていくことができたことが、その後の人生にとって非常に有益なものになったと思います。

 

またこのように、知らない言葉を理解できるようになったことで、以前より高次元のテキストや議論が理解できるようになる、という日々を繰り返すことで「学ぶ習慣」も身に着けられたのではないかと思います。

 

私の新入社員時代の体験から思うこと

 

私が社会人になった2007年は、非常に保守的な時代というか、幾分マシになったとは言え、まだまだ就職氷河期の記憶が色濃く、社員と会社とでは圧倒的に会社の力が強く、今で言うブラック研修とかブラックな労働環境というのが普通な時代でした。(ブラック研修に関しては、むしろ「面倒見の良い会社」として礼賛されていたきらいすらありました)

 

根性論や忍耐論が大好きな団塊世代もまだ現役で会社で幅を利かせており、大学でしっかり勉強をしてきた論理的な若者が「理屈っぽい」「空気が読めない」「若いくせに生意気」「なんとなく鼻につく」などと批判され、「新入社員はバカになれ!」なんて教え込まれていた時代です。

 

「新入社員はバカになれ」という言葉、私は一生忘れないと思います。

 

実際同期でも、従順にこうした教えを守ろうと思い、一生懸命「バカ」になろうとした結果、心身を崩してしまった人もいました。

 

実際に、うまくバカになってその時はオジサンたちに気に入られても、時代の潮目が変わり、そのまま年齢を重ね、自分を気に入ってくれていたオジサンたちがいなくなり、単なる「バカで残念な中年男」になってしまう人だってたくさんいます。

 

結局のところ、そうやって言い放っていたオジサン連中は、もうこの先の人生何年も働かなくて良い人たちで、これから半世紀近くこの社会を生き抜いて行かなければならない若い人のことなんて微塵も考えていない人たちだったんだな、ということだけは確実に今感じるところです。

 

それから程なくしてリーマンショックが起き、いわゆる「団塊世代」の方々の多くは業績不振を口実に大量にリストラされ、それをなんとか乗り越えられた人たちも定年を迎えて会社からは姿を消しました。今生き残っている多くの企業が効率化と組織のスリム化を断行して行く中で、かつてのような非効率的で非科学的な根性論や忍耐論の類が礼賛される風潮は次第に弱まり、新入社員に求められるものが忍耐力や根性といったものから、コミュニケーション力や地頭の良さと言ったものへと変化して行きました。

 

私から言えることとしては「決してバカになんてなってはいけません」ということです。
そして、至極当然のことですが、若い貴重な時期に4年間という時間とお金を使って、「バカになるために大学に入る人」なんていないわけです。なので、そんな教えは100%、間違っています。

 

実際、私はこの会社を早いうちに退職しました。

 

丸11年働いてきて思うこと

 

私もこの春で社会人生活が丸11年を終えて、12年目に入ります。その中で、前出の「語彙力」や「学ぶ習慣」というものが、いかに大事なものか、本当に実感するに至りました。

 

まず、「語彙力」に関してですが、これは単純に今自分が置かれている状況を説明するときや、自分のアイデアや考えを主張するとき、最も基礎的でありながら最も重要な能力となります。

 

また、それなりに年齢や等級が上がってくると、会議の場で文脈も読めずに的外れな発言をすることや、自分の考えに対応する語彙をうまく見つけられずにモゴモゴしてしまうという姿はあまり褒められたものではありません(もちろん若いときはそれでかまわないと思います)。やはりそこは、議論の本質を突いた指摘を短く的確な言葉でビシっと決められるのは格好が良いし、周囲も見ていて気持ちが良いものです。

 

そして「学ぶ習慣」についてですが、今の世の中、政治、経済、科学技術、物流…あらゆるモノが、とんでもないスピードで動き続けています。入った会社や就労する職種によっては、自分の所属する業界以外の知識も相当量持っていないと勤まらないこともあるでしょう。

 

つまり、もはや「これを知っていれば世の中渡っていける」という絶対的に安定した知識量というのは既に存在せず、一生学び続けなければならない時代が来ていると思います。

 

ただ、いきなり業界紙や専門誌を開いてみても、やはり最初はチンプンカンプンだと思います。私も文系学部出身なのに現職は理系出身ばかりの技術系の会社にいるので、今の会社に入ったばかりの頃は苦労しました。

 

しかしそれでも、大学時代にそうして来たように、わからない言葉があったらそれを調べ、今度はその言葉が使われているところへ足を運び(今で言うと営業の方に同行してみたり、その分野に詳しい技術者の方と話をしてみたり)、今度はその言葉を使ってみたりします。

 

このように「語彙力」を強化することで、その業界の人たちが使っている「共通言語」が何なのかを探り、ここで得た「言葉」を通してその業界特有のモノの考え方(フレームワーク)を理解することができるようになります。

 

つまり、語彙力を上げるということは、その業界の人と対等に議論をするためのステージにアクセスするための手段であり、こうしたことの繰り返しこそが「学ぶ習慣」ということなのだと思います。

 

「語彙力」と「学ぶ習慣」この2つこそが、私が大学時代に学んだ一番大事なことだったのではないかと思います。

 

 

後日談ですが、母にこの話をしたら「思ったよりもかなり高度な内容で驚いたし、正直何を言ってるのか半分くらいしか理解できていないから、この内容をお姉ちゃんに伝えるの無理だわ…」と言われ、肩透かしに遭いました(笑)