35歳を迎えて-歳を重ねるのは悲しいこと?

どうも、英司です。
本日2月6日、35歳の誕生日を迎えることができました。

なんだか精神年齢はずっと前に止まっている感じですので、冷静に考えると自分が35歳とかちょっとビックリするんですが(笑)、無事この日を迎えることができました。

今日は自分語り的な痛い内容になるかもしれませんが、誕生日ということでご容赦を(笑)

「若さ」が武器になる世界に生きて

ゲイの世界は、若いこと、カワイイことこそが価値のあることとされる風潮が一部にあります。そのあたりは、少し女性の世界に似ているかもしれません。

そうした世界にいると私も、年齢を重ねることは自分の価値や魅力も逓減していくことのように感じたこともありました。

今思い返すと、20代の頃は本当に何かと悩みの多い時代だったと思います。

仕事でも、長く人材業界で働いていると、そこでも「若さ」の価値を見せつけられることがあります。給料が安定的に上昇するような優良企業の場合、未経験OK・正社員の案件はほとんどの場合20代で募集を締め切る傾向があります。

未経験向けの転職エージェントも30歳以上の登録はお断りの場合も多く、30歳以上の転職はほとんどの場合、これまでの職種の経験を生かしてより良い条件の会社に移るためのキャリア採用や、ヘッドハンティングのようなルートの転職が一般的です。

そうした人材業界の常識から逆算すると、特別な国家資格などが必要な仕事は除いて「自分はコレで食べて行くんだ」という仕事に出会えるまでいろいろとチャレンジができるのも現実的には20代のうち、ということも意味していて、「若さを失わないうちにあれもしなきゃ、これもしなきゃ」と、心のどこかに焦燥感に似た気持ちが常にあったのが、20代の頃の私でした。

若さと引き換えに手に入れているもの

30代も半ばに差し掛かり、そうした時代のことはすごく懐かしく感じるようになりました。そして、「若さ」を失うことへの焦燥感も、今ではほとんどなくなりました。

確かに、若さとともに逓減するものは多いです。それは体力であったり、考えの柔軟さであったり。それに加えて見た目の衰えや劣化も目立って来ています(笑)

だけど、今ではどちらかと言えば歳を重ねることに対して、楽しみな気持ちの方が強いです。理由は簡単で、多少の「思い出補正」はかかるものの、それを差し引いてもやっぱり「今」が一番満足行く日々を送っていると思えるからなのだと思います。

少し偉そうな言い方になってしまって申し訳ないですが、それはたぶん、「若さ」と引き換えに得ている経験や、その経験に裏付けられた知恵、そして何より、周囲の人たちと築いてきた絆というものが、失ってしまう「若さ」以上にかけがえのないものなのだという実感を得られているからだと思います。

仕事に関しても、20代の頃は本当にいろんなことを経験しました。何回も転職したし、不本意に失業したこともありました。常に「今のままで良いのか」と考えていたし、「自分は一生、何事も長続きしないのかもしれない」とか、だけど「かと言って、ずっと『自分の意志ではない何か』を、お金のためと割り切ってやっていくのか?」という気持ちとがせめぎ合っていたり。

今も仕事では、もちろんイライラすることや悲しいことはありますが、概ね「これで良かった」と思える日々で、若い頃に常にどこかで抱えていた焦燥感や、漠然とした不安感みたいなものは徐々に消えていきました。

こうしたことも、「若さ」と引き換えに得られた財産なのだと思います。

シンプルだけど好きな言葉

私は昔から「希望」という言葉が好きです。
希望って、「今日より1年後、1年後より5年後、5年後より10年後は、きっと今より豊かで充実した毎日を送れていると信じられる状態」のことだと思っています。

35年間の人生の中で、どうしてもそんな風に考えられない時期もありましたが、今は確実に、こうした「希望」を持って日々を過ごすことができていると実感します。

これもひとえに、気の置けない仲間や、いつもこんな私をかまってくれる友人・知人など、周囲の環境に恵まれたからこそのことだと思います。

ネットでの自分語りというかなり痛い内容の投稿になってしまいましたが(笑)、新たな1年も、ぜひともよろしくお願いします。